1999年4月14日に山口県光市で発生した殺人事件。 妻子を殺害した方法が残忍であったこと、犯人が18歳1ヶ月の少年だったことなどから司法の判断が注目された。 マスメディアを通じた担当弁護士の罷免要求キャンペーンも是非が問われた。 1審2審で無期懲役、最高裁差は判決を破棄し、審理を差し戻した。 2008年4月22日、差し戻し判において死刑判決となった。 原則・死刑適用、例外・死刑回避と言う最高裁の新たな指針が示され、被害者救済、犯罪者厳罰化と言う方向性が一歩進んだかと見られる。
前回までの記事の続きです。 「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)で、福田自身は次のような刑罰を提案しています。 「たとえば、『無期懲役+死刑』とか。(仮釈放がない)終身刑もあってもいい。拘置所の間は労役がないけど、まずは刑務所に入って働いて、その働きを見て、死刑にするかどうかを決めてもいいんじゃないかと思う。あるいは、懲役刑を終えても、まだ足りないと思うならさらに懲役年数を長くするとか」 裁判で定まった懲役刑を終えても、さらに長くする案は傾聴に値すると考えます。特に、光市母子殺害事件では、理性的には認めがたい「強姦の計画性」を、福田を死刑にしたいがためだけに、認めてしまって…
前回までの記事の続きです。 本題から逸れて総論になりますが、私も日本の刑法の厳罰化には賛成であることをここで述べておきます。ただし、「死刑よりも反省し、被害者に償うべき」と考えているので、死刑はなくすべきと考えています。 少しでも「厳罰化」について調べた人なら知っているでしょうが、「他国と比べて日本の刑罰が軽い」と言われる時、論点となっているのは死刑ではありません。ほとんどの先進国は死刑を既に廃止しており、死刑に注目されると、むしろ「他国と比べて日本の刑罰は重い」になってしまいます。厳罰化で論点になるのは、懲役刑です。日本だと有期懲役だと最長で30年しかないこと、無期懲役でも30年ほどで仮釈放…
前回までの記事の主張と同じですが、別の観点から考察します。 「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」「(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」「乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから」「死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから」 この荒唐無稽な話が出てきた時、誰もが驚きました。最初にこの話を聞いた弁護団も、全員、唖然としたそうです。これをそのまま裁判で主張すべきかどうかの議論も弁護団内であったようですが、福田の強い要望もあり、主張されました。 「光市母子殺害…
前回までの記事での主張と同じですが、さらに考察します。 「酒鬼薔薇事件は不良文化によって起こされた」にも書いた通り、反社会的な環境にいればいるほど、犯罪を起こしやすくなります。暴力性が高い人ほど、暴力事件を起こしやすく、歪んだ女性観を持っている人ほど強姦事件を起こしやすくなります。 これは当たり前のことなのですが、どういうわけか、裁判では本人の環境、暴力性などをほぼ無視します。もし本人がヤクザであれば、これからヤクザから抜けるかどうかの決意によって、再犯率が大きく変わることは論をまたないので、ヤクザから抜ける約束をしなければ量刑を重くするべきだと思うのですが、それが論点になっている裁判例を見た…
前回までの記事の続きです。 「光市母子殺害事件裁判での犯人の激怒」での2007年9月20日の裁判は、もともと被害者遺族の意見陳述だけの予定でした。福田の反省の意思を示したい弁護団の要請により、被告人質問も付け加わりました。しかし、福田は検察官の「デタラメな追及(下記の増田の表現)」に激昂してしまいます。これについて、遺族の本村洋は「彼に対して温かい言葉をかける弁護団に対しては真摯に対応しますが、検察官や裁判官の尋問に対しては敵意や不快感をあらわにしますし、とても心から改心している人間とは思えません」と述べ、すぐに大きく報道され、世間の福田の悪印象を増幅させています。私もこの本村の言葉に同意しま…
前回の記事の続きです。 「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)の著者の門田は、差戻控訴審で死刑判決が出た翌日に、広島拘置所で福田に面会しています。そこでの面会の記述を引用します。 昨日の死刑判決についての思いをまず聞いた。 その瞬間、福田はこう口を開いた。 「胸のつかえが下りました……」 えっ? 一瞬耳を疑った。福田は私に向かって、たしかにそう言ったのである。それは憑きものが落ちたような表情だった。福田はこう続けた。 「僕は(これまで下されていた)無期懲役では軽いと思っていました。終身刑というなら、分かります。無期懲役ではあまりに軽すぎる、と」 意外な言葉だった。 「僕は生きてい…
前回までの記事にも書いた通り、福田の過去を知人からの証言で探す限り、殺人事件を犯すような暴力性と爆発性は発見できません。それらが公に示されたのは、2007年9月20日、被害者遺族の意見陳述後、福田への被告人質問が行われた時です。以下は「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)からの引用です。 検察「弁護団の中にさえ、遺族の言葉を聞いて、嗚咽を漏らす人がいましたよ。ところで、君は最後まで何か書いていましたね。何ですか?」 福田「証言を書いていました」 検察「しかし、あなたは、ペンで縦にスーッと線を入れて、削除しましたね」 福田「してません」 検察は突然、「嘘を言うな! 縦に線を引いたじ…
前回までの記事の続きです。 光市母子殺害事件の犯人の福田孝行は女性観が歪んでいました。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)で著者の今枝は、フロイト派の精神科医のごとく、福田の女性観について解釈を述べています。強姦の計画性があったかどうかが論点となったため、福田の女性観に踏み込んだのでしょうが、多くのフロイト派の解釈同様、この解釈が正しいかどうかは、客観的に、あるいは理論的に証明できません。 今枝の解釈で注目したいのは、「強姦の計画性はなかったが、優しく誘導されて和姦に至る淡い願望」が福田にあったと認めていることです。突然訪ねてきた正体不明の排水管検査員が「…
前回までの記事の続きです。 光市母子殺害事件の犯人である福田孝行が父から暴力を受けていたことは、どの本にも書かれています。福田の死刑を長年訴えてきた遺族の本村でさえ、福田の幼少期の育て方に問題があったことを認めています。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)に至っては、それこそが福田の倫理観が歪んだ根本原因であり、それがためにこの悲惨な事件が起こってしまったかのような書き方です。以下は、その本からの引用です。 福田の父は結婚前から母に暴力を振るっていました。また、父は給料を賭け事に使い、サラ金から借金することも福田が小さい頃からあったようです。母は実家からお…
前回までの記事の続きです。 光市母子殺害事件の犯人の福田は前回の記事に書いたような不謹慎な手紙を、一審公判中の1999年11月から一審で無期懲役判決が出た後の2000年6月までに書いています。この手紙の送付相手のAは、1999年9月に山口刑務所の拘置所で福田と知り合います。Aが執行猶予の判決を得て、出所した後も文通は続きました。 Aが出所して、しばらくたった頃、Aの自宅に刑事2名が訪ねてきて、「最近どうだ」「ちゃんと仕事しているか」といった世間話をした後、本題が切り出されます。「ところでお前、福田と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。一点の真実でいいから、判断材料がほしい。本当に公正な裁判…