李氏朝鮮第26代国王で大韓帝国初代皇帝の高宗のこと。
→高宗
前6年〜57年(皇帝在位25年〜57年)。姓名は劉秀で字は文叔。
後漢王朝の初代皇帝。荊州南陽郡舂陵の人。前漢6代皇帝景帝の庶子・長沙定王劉発の子孫にあたるが、彼自身は傍系であるため生まれは無爵でしかも三男坊であった。 王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱した中国国内(当時の漢民族居住地域)を、紆余曲折を経て再統一し、漢王朝の再興と称して後漢王朝を建国した。
sarukichitail様、コメントありがとうございます。やっぱり、(建武帝)ではなく(光武帝)ですよね??? 現在BSで放送中の中国歴史ドラマ、【秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛】で、光武帝ではなく【建武帝(劉秀)】と表示されるのです。 (ん???)とずっと思っていたのですが、昨日、記事に書く時、念のためGoogle先生で確認したところ、光武帝の情報は出てくるけれど、建武帝は【秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛】でしか表示されなかったのです。 検索バーに(建武帝 光武帝)と予測変換が表示されたので、私のように混乱して検索した人が多いのかな?と思ったのですが、ドラマの制作は中国なので、自国の歴史に…
雍正帝の書いた書をを寝室に貼り終え流朱たちと和む甄嬛の元へ小厦子が慌ててやって来た。 蘇培盛から陛下が怒っているので養心殿へ来て欲しいとの伝言が伝えられる。 養心殿に着くと蘇培盛から雍正帝が激怒していて自分たちではお手上げなのでなだめて欲しいと頼まれる。 そして雍正帝の怒りの原因は敦親王からの冊封要請の上奏書だと教えられた。 雍正帝から見せられた敦親王の上奏書には「生母である温僖貴妃を貴太妃として追封し妃陵に埋葬するよう書かれてあった。 雍正帝は先帝が貴妃を忌み嫌っており妃陵に葬ることを禁じていたと明かす。 甄嬛は敦親王の言われた通りにすると先帝に対する不敬と見なされ雍正帝の立場亡くなると指摘…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年10月5日 YAHOO!JAPANニュース 草の実堂「「驚くほど寿命短めだった?」古代中国皇帝たちが短命だった理由 ※後漢皇帝たちは30歳 画像 : 始皇帝 public domain 古代中国の皇帝 画像 : 始皇帝 public domain 古代中国の皇帝と言えば、豪華で贅沢な生活を思い浮かべる方が多いだろう。 たくさんの家臣と数多くの側室に囲まれ、何不自由ない生活を送っているイメージだ。 栄養面や健康管理にも細心の注意が払われ、常に名医たちが皇帝の健康を見守ってい…
Wikipedia の三国志関連の記事を読んで英語・英単語の勉強をしていきます。袁紹その1に引き続き第24回は袁紹その2です。 en.wikipedia.org Dong Zhuo then discussed with Yuan Shao about his plan to depose Emperor Shao and replace him with the Prince of Chenliu, but Yuan Shao disagreed. Relations between the two deteriorated and Yuan Shao fled from Luoyang t…
高句麗の王都。鴨緑江と通溝江の合流地点の北岸に位置し、平地城(国内城)と山城(丸都山城)がセットとなった構造をしている。中国の三国時代、魏の幽州刺史毌丘倹の侵攻を受けた。5世紀前半、長寿王の時代に南の平壌へと遷都された。 卒本からの遷都 呉との外交 魏の侵攻 「毌丘倹紀功残碑」 都市の遺構 平壌への遷都 関連人物 関連交易品 参考文献 卒本からの遷都 紀元前108年からその翌年にかけて、前漢の武帝により楽浪、真番、臨屯、および玄菟の4郡が設置された。そのうち玄菟郡の属県の一つとして高句麗県の名がみえる(『漢書』巻28下地理志下)。県自体が先住種族である高句麗に対する支配を大きな目的として置かれ…
グウィン『文体の舵をとれ』の練習問題をやってみました。本当は執筆サークルや合評会みたいなものを作って互いに高め合うべきなのだけど、低劣なコミュニケーション能力しか持たないおれにはちょっとハードルが高いので、とりあえずここに掲示しておきます。もし講評してくれる人がいたらありがたいです。 ――――― ①文はうきうきと 問一「声に出して読むための語り」 問二「動きのある出来事、もしくは強烈な感情」 ②句読点と文法 問一「句読点のない語り」 ③長短どちらも 問一「十五文字程度の一文で作られた一段落」 問二「七百字以上の一文で作られた一頁」 ④繰り返し表現 問一「名詞or動詞or形容詞を三回以上繰り返す…
今後日本の時代が来るために ・世界から愛される国を目指す。 ・技術で世界最先端を目指す。 ・自衛隊員の練兵度、装備、兵器で世界最高峰を目指す。 ・世界的に電気自動車はどうも不評。日本は他国程、電気自動車に力を入れていない気がする。日本がむしろ正解なのでは? ・大国やお金持ちの国はダメージを受けている。彼らが弱っている時こそ日本のチャンスでは? ・アメリカは物価沸騰で苦しんでいる。 ・イギリスはEU離脱で苦しんでいる。 ・中国は不動産バブル崩壊と電気自動車不評で苦しんでいる。国家の債務は、すさまじい額であり、測定不能である。 ・ドイツは物価高騰で苦しんでいる。 ・大国ロシアは侵略を行っている。こ…
※補足1:画像は正午阳光官方频道(正午陽光公式チャンネル)で公開されている中国大河ドラマ『清平乐 Serenade of Peaceful Joy(邦題:孤城閉 ~仁宗、その愛と大義)』より引用 ※補足2:各単語のカッコ内に発音のカタカナ表記を記載するが、カタカナでは正確な中国語の発音を再現できない為、あくまでイメージとしての記載に留まる。 ①范仲淹(はんちゅうえん/fàn zhòng yān)の詩『萧洒桐庐郡十绝』 ※画像:百度百科「乌龙山」より引用 仁宗と重臣との協議において、宰相の呂夷簡(りょいかん/lǚ yí jiǎn)が権勢を強め過ぎている状況が議題として語られる。老練な呂夷簡(りょ…
文字霊日記・3536日目 十年マエ & 一年マエの ブログ日記の己の記録ーーーーー 2024年9月13日7時・金曜日 2024年 干支41 甲辰(乙・癸・戊)年 9 月 干支10 癸酉(庚・ ・辛)月 13 日 干支17 庚辰(乙・癸・戊)日 十年マエの記録・ブログ日記 2016-02-25 古事記字源 をダレかが読んでくれたらしい・・・ 2016~17~18~19~20~21~22~23~2024 9年前+10年前=19年前 ・・・随分と経ったと思うが・・・ 昨日の様であるカナ・・・ ↓↑ 「倭、自ら太伯(呉の始祖)の後裔」・・・ 伯=イ+白 太安万侶(おほのやすまろ) 多安万侶 父 多 品…
酒におぼれて臣下を次々と断罪 恐れおののく愚かな皇帝の末路 《打金磚》 《上天台》 《漢宮驚魂》 あらすじ ポイント 解説 youtu.be あらすじ 後漢。 光武帝・劉秀は郭妃を寵愛していた。 郭妃の父・郭栄はそれを頼みに権勢を振るって横行し、建国の功臣である姚期の息子・姚剛と諍いになって殺されてしまう。 姚期の今までの功績を思う劉秀は、姚剛の斬首を免じて流刑にとどめる。 父の仇をとりたい郭妃は、劉秀に酒を勧めて泥酔させて讒言し、姚期を斬首するよう命令を下す。 功臣のひとり・馬武は怒って劉秀に赦免を迫るが間に合わず、刑はすでに執行されていた。 酩酊している劉秀は臣下たちにその責めを負って次々…
さて、今回紹介する人物は孫秀じゃな。彼もまたマイナーな人物ではあるが後期呉における重鎮だったんじゃよ。じゃが、その彼が晋に亡命してしまった。彼の周りで何が起こっていたか、見ていくとしようかのう。
侗庵新論は海防臆測と並ぶ侗庵の代表作です。1825年~1844年(37才~56才)の20年間に渡って書いた著作で、本編160篇、追記31篇の合計191篇という膨大なものです。テーマも多岐にわたっています。従って海防臆測や壺範新論のように一度に全篇を投稿するのではなく、一篇ずつ順次投稿していきたいと思います。また記述の順序も読みやすさを考えて、現代語訳→読み下し文→語釈→漢文の順で行きたいと思います。まずは1825年(侗庵37才)までに書かれた第1~16までを掲載します。 なお原文は国立国会図書館デジタルコレクションに依っています。 1. 原則にこだわり融通のきかない人について 2.著作の偽造に…
上巻 首都留学から決起前夜まで。ミクロな展開に終始していて物語に大きな動きはなく、世界観とキャラクターの説明に紙幅を割いている。『演義』でいえば桃園の誓いまでかな。 時代柄仕方ないんだけど例えば楚漢戦争期や三国志なんかと比べて同族の人間が多数登場する(特に劉氏や鄧氏)から馴染みのない人は混乱してしまうかもしれない。留学中に商売に手を出す場面は、史実をそう調理したかとちょっと感心した。現代人からすると「いやいや……」となってしまう緯書への関心はある程度処理しとかなくちゃならないのだから、儒教へのある種の失望としたのは上手いと思う。 細かい所をいくつか。P34の目を瞑って声だけで人となりを判断する…
奴国の丘歴史公園からは北側の神社や住宅地の遺跡へ行ってみました。 まずは熊野神社へ。 こちらが拝殿。後ろに高まりが。 本殿は、高まりの上でした。 回り込んで後ろから本殿を。これは古墳ですね。 さらに回って、横から本殿を。 古墳時代後期の円墳とのこと。須玖岡本遺跡の時代からは600年ほども後のものになりますね。 https://www.city.kasuga.fukuoka.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/436/kawara8_2.pdf 古墳の説明板は無いですが、須玖岡本遺跡に関しては詳しく。 須玖・岡本遺跡春日市の中央を南北に…
赤井手古墳からは、北東に500m弱の春日市奴国の丘資料館へ。 須玖岡本遺跡がある奴国の丘歴史公園の敷地内。周辺の道は細めですが駐車場も完備。 入館料は無料。 入ってすぐには、弥生人が青銅器を作っている様子がリアルに。 その先の展示室。 入口に説明板。 奴国(なこく)中国の史書である「後漢書」に「建武中元二年(57)」、倭の奴国、奉貢朝賀す。・・光武賜うに印綬を以てす。」という記述があり、この時、漢の光武帝から賜った印が、天明4年(1784)に志賀島で発見された「漢委奴国王」という印文の金印であると考えられている。これによって紀元1世紀に奴国という有力なクニが出現していたことがわかる。奴国の位置…
2019年7月9日(火)~2019年9月16日(月)の間で東京国立博物館にて三国志展が開催されていました。 以前にブログをやっていた際はタイムリーに本記事を載せていたのですが、今回のブログ再開でも載せたいと思い、リライトしつつ改めて書くことにしました。 休日は家から一歩も出ずに寝ているか本や漫画を読んでいる私ですが、仕事帰りのコンビニのレジ広告で開催を知り、即「行くしかない!!」と風の如き速さで決意しました。 2019年7月10日(水)の夜にコンビニ広告で開催を知り、帰り道でチケットの予約をして2019年7月13日(土)に行きました。超インドアで移動と人混みが苦手な私としてはあり得ない行動力で…