その “any-ness” が内包する「否定性」や「可能性」は、まだ潜在的なものに留まっているので、その種子内的な「否定」の力は「宙吊りにする否定」であって、「チャラにする否定」ではない。 「チャラにする否定」のほうは、世界の側を無いことにする(=チャラにする)ことによって、その否定ができる主体の側を、世界の側から分離独立的であるかのように立ち上げる【私の三歳の孫が、都合の悪いときに乱用する「今のなし!」という否定は、そういう「チャラにする否定」の始まりの姿である】。 すなわち、任意性の「宙吊りにする否定」は、世界の側を無きものにもせず、強い主体も立ち上げずに、どちらも棚上げのままにする。「任…