正徳5年2月9日。1月27日、入鹿の圦番石川喜八について御国奉行のところで詮議が行われ、乱心の様子だったので5石二人扶持を召し放たれ、所へ預ける。初めは押しの者であったがこの役となる。60に近いと云々。相役森川六兵衛から常々米銭などを借りていたが、あまりに度々だったので六兵衛の妻が応じなかった。これを恨み、自分の垣などに自ら火を付け、それを自分で見つけ出す。自分で道具などを紛失・破損し、これを六兵衛の妻の仕業にしようとした。六兵衛の妻は12、3年前に娘と死に別れ、乱心のようになったが今は正気であった。六兵衛は85才であった。