八幡太郎源義家は、清和天皇の末裔(清和源氏)であるとともに、北面の武士として天皇の警護にあたったことから、戦前の教科書には忠臣としてよくとりあげられています。 しかし、弟義綱とのいさかいがあった後の十五年間は表舞台には出てきません。義家の勢力拡大を恐れた朝廷が、弟義綱や平正盛(まさもり=平清盛の父)を重用する方針をとったためです。またしても、出る杭は打たれたのです。 実は、春やんを見舞いに行ったとき、義家の晩年を長々と話しました。そのまま書こうと思ったのですが、かなり複雑なので、以下にまとめました。 晩年、義家は長男の義宗が早死にしていたため、次男の義親(よしちか)を嫡男にします。しかし、義親…