中世期の中国で華南(江南)地域に勃興した六つの王朝の称。三国時代の呉、西晋滅亡後に建康に都した東晋と、南朝の四朝(宋・斉・梁・陳)を合わせた呼び名。 五胡の支配した北朝領域とことなり、漢民族の支配が維持された。社会制度的には貴族が強大で皇帝権限は比較的弱かった。このため貴族文化が繁栄、特に書画はこの時代に大いに発展して後代にも影響を与えている。
―その1443― ●歌は、「をみなへし秋萩しのぎを鹿の露別け鳴かむ高円の野ぞ」である。 愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P11)万葉歌碑<プレート>(大伴家持) ●歌碑(プレート)は、愛知県蒲郡市西浦町 万葉の小径(P11)にある。 ●歌をみていこう。 四二九五から四二九七歌の題詞は、「天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各提壷酒 登高圓野聊述所心作歌三首」<天平勝宝五年の八月の十二日に、二三(ふたりみたり)の大夫等(まへつきみたち)、おのもおのも壺酒(こしゅ)を提(と)りて高円(たかまと)の野(の)に登り、いささかに所心(おもひ)を述べて作る歌三首>である。 ◆乎美奈弊之 安伎波疑之努藝 左乎之…
第四 また、ほどほど昔の頃か、嵯峨開山(嵯峨山大覚寺開祖恒寂上人?)がまだ若年で石侍者と申していた頃、仏法修行をして、諸国諸寺を遍参して、当山(比叡山)にお上りになりました。頃は二月半ばの事で、さる院家の庭の梢は、まるで大庚嶺の梅が風に匂い、金谷園の花が盛りを待つ風情です。『遥かに人家を見、花有れば則ち入り、貴賤と親疎とを論ぜず』という白居易の詩の心に引き寄せられ、立ち寄りなさると、少年が一人います。その少年が何となく谷より喬木へと遷る鶯の初音とともに木々の梢に心を奪われているような折に、梅の花が雪のように散り、桜の花が雲のように群がり咲くのに戯れなさっているような御様子です。含章殿の軒下で落…
下半身のクロッキー 今週も銭湯帰りのスタバからブログ投稿しています。今日は晴れ時々曇りの予報だったのですが、日光浴をしている間だけずっと快晴で、思わぬ収穫でした。今週はオナ禁は順調で、筋トレはそこそこでしたが、エロ禁を久しぶりに破ってしまいました。一度エロ禁を破るとエロ探しに1時間とか一気に経ってしまって、時間を無駄にしたと後悔します。エロ以外の時間の進みは最近非常に遅く感じます。分刻みで筋トレや制作のスケジュールを組んでいる為なのか、気持ちが若く保たれているのか分かりませんが、概ね良好です。制作の方は山水画を描いていたのですが、1枚目は構図が気に入らなかったので途中で廃棄して、2枚目に手をつ…
雨。NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンの交響曲第四番 op.60 で、指揮は小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラ(NML)。圧倒的な強度。これは慰みに聴くようなものではなく、我々を壊していくような音楽だろう。だから、日常性には合わないともいえる。これほど野蛮なベートーヴェンは、滅多にない。小澤征爾の面目躍如というところであろうか。ベートーヴェン:レオノーレ序曲第1番アーティスト:小澤征爾ユニバーサル ミュージック クラシックAmazon■バッハの無伴奏チェロ組曲第四番 BWV1010 で、チェロはピーター・ウィスペルウェイ(NML、CD)。 昼から珈琲工房ひぐち北一色店。渡辺信一郎『中…
・川奈まり子『実話怪談 でる場所』(2) ①並製本にはなく、②文庫版に新たに追加されたのは、256~258頁「文庫あとがき」のみである。 ここに、本書の成立についての記述がある。――本書に収録される話は全て著者・川奈まり子(1967.11.9生)本人或いは川奈氏に近い人物が体験したことになっているので、読んでいるうちに本書の成り立ちは何となく理解出来るようになっているのだけれども。 256頁2~11行め、 二〇一四年の暮れから二〇一六年の春にかけてニュースサイト「しらべぇ」で連載/していた「実話系怪談コラム」の中から、怪異が起きた場所が明確なものだけを抽出/して、『実話怪談 出没地帯』という単…
2022年3月16日(水)19:30~京都・夕やけ仏教/親鸞の世界・教行信証を読む vol.8『真仏土巻』 祇園舎 瓜生崇師 youtu.be ・慧遠(523年 - 592年)、北周、隋代の地論宗の僧。・三蔵吉蔵(きちぞう、549年 - 623年)は、中国六朝時代末から唐初期にかけての僧。阿弥陀仏の浄土は化土であると言った人たち。仮に説かれた浄土。ここで言う化土はレベルが低い、わたしたちに合わせて寄り添って説かれたような仮の世界のような認識だった。親鸞聖人の化土はニュアンスが違う。 【阿弥陀仏の浄土は報土なのか化土なのか…】・報土 本当の世界からでてきたものか(これもわたしたちに合わせたという…
以前、『礼記』の楽記篇の句読について整理した際、崔靈恩という人の説を紹介しました。 chutetsu.hateblo.jp 残念ながら、崔靈恩が書いた本は、いまはそのままの形では伝わっていません。しかし、『礼記』の経文と鄭玄注について注釈を附した『礼記正義』という唐代の書物のなかに、彼の説がたくさん引用されています。 『礼記正義』のうち、特に「楽記」篇には、崔靈恩の説が細かく何度も引かれています。今回は、この崔靈恩の説を概観し、「楽記」に対する六朝時代の学者の解釈を学ぶことにしましょう。 今回読むのは、以下の部分です。 (経)宮為君,商為臣,角為民,徵為事,羽為物。五者不亂,則無怙懘之音矣①。…
3152日目・文字霊日記 指導者(leader)の資質・・・騙せ・盗め・殺傷しろ? 以前にも何処かに書き込んだが・・・ 「ロシア人の教養人」は「自覚」していた・・・「魯の漢字」 「暴力主義者」・・「戦争おたく」・・・ 「机上図面作戦おたく」・・・ 「戦術作戦おたく」・・・? そして、「実践の侵略」をやった・・・ あの 「戦艦ポチョムキン」の 「ロシア兵と市民労働者、国民農民」の怒りはない・・・? 『戦艦ポチョムキン』 (ブラニノースィツ・パチョームキン Bronjenosjec Potjomkin 英語Battleship Potemkin)・・・ ソ連映画人が提唱した 「モンタージュ理論」で…
宇能鴻一郎『味な旅 舌の旅』(中公文庫1980)が、エセー「男の中の男は料理が上手」と、著者と近藤サト氏との対談(「酒と女と歌を愛さぬ者は、生涯馬鹿で終わる」)とを附して、2月に新装復刊された。昨夏に出た宇能氏のオリジナル短篇集『姫君を喰う話』(新潮文庫)が話題となったことを受けてのものらしい。 『味な旅 舌の旅』の単行本は日本交通社から刊行されており(1968年)、KK・ロングセラーズで『美味めぐり』と改題のうえ一部改編されて復刊(1977年*1)、その三年後に中公文庫に収まっており、わたしはこの旧版の文庫を持っていた。 いわゆる食味エセーではあるが、それだけに止まらない魅力がある。新版の帯…
馬見うまみ古墳群は、奈良県北葛城郡の河合町・広陵町~香芝市・大和高田市に広がる馬見丘陵周辺に造営された250基以上の古墳群。佐紀盾列古墳群と大和・柳本古墳群と併せ「大和3大古墳群」とも呼ばれる。4世紀末~6世紀に造営されたと見られ、葛城氏系の墓域との説もある。北群・中央群・南群の3群に分けられる。 *奈良盆地南部・西南部の水を集めた曽我川(支流に葛城川・高田川)は、河合町北部で大和川に合流する。合流地点の西側南北7km、東西3kmの低い丘陵が馬見丘陵。その丘陵東縁に沿って築かれたのが馬見古墳群。奈良盆地西南部の勢力が築いたとみられている。墳長約200mの大型前方後円墳4基を含め前方後円墳22基…
MOA美術館に来るのは去年の7月以来。前回は竹内栖鳳の回顧展だった。 MOA美術館『没後80年 竹内栖鳳ー躍動する生命ー - トムジィの日常雑記 今回のお目当てはというと、春先のこの時期だけ公開される国宝、尾形光琳「紅白梅図屏風」。この絵を観るのは二度目で、初めて訪れた時に偶然目にすることができた。今、この雑記で確認したところ2012年、会社の有志でオヤジ旅行した時の事だったようだ。 追憶の真鶴旅行 - トムジィの日常雑記 しかしこうやって日常の些事をグダグダと書き綴るという行為もたまにこうやって思い返すという点ではけっこう役に立つとはいえる。もともと無着成恭の『山びこ学校』じゃないが、生活綴…
旧日光街道(県道足立越谷線)沿い、綾瀬川に沿って約1.5kmに及ぶ松並木があります。草加市の観光名所で国の名勝にも指定された草加松原遊歩道があります。 www.city.soka.saitama.jp 百代橋の下には「おくのほそ道風景地」と「日光街道草加松原」の道標があります。前者は元草加市長の今井宏、後者の書者名は不明です。両者の書風は異なるように思いますが、いずれも来たものを迎え入れる温かさを感じられます。 さて、この遊歩道には幾つか句碑等がありましたので、3回に分けて紹介していきます。 グーグル先生ありがとうございます。 道の北側入り口です。ここから東京方面に向かっていきます。 リンガー…
作務衣が届いて、ようやく開封して着てみた。 \宅配便送料無料/ 作務衣 レディース 女性 さむえ 無地 母の日 ギフト 作業着 部屋着 綿100% 春秋向き 婦人 女性用 上下セット シーチング素材 サムエ 職人 陶芸 民芸 居酒屋 敬老の日 ユニフォーム 外国人 お土産 大きいサイズ M L LL サイズ 0815価格: 2800 円楽天で詳細を見る 着心地はすこぶる良く、一日着ていても疲れない。こういう服を求めていたのだと思う一方で、まだこれを着て外に出る勇気は出ない。 ひとまず家の中で作務衣を着たまま過ごして、家事をしたりスピンバイクを漕いだりしたのだけれど、思った以上に快適で驚いている…
15日(火) 朝はビビ号と散歩。 午前中はウダウダしてしまう。 午後はまず散髪にいって男前になる。本当はお昼前にも行ってみたら混んでいたので午後一番を狙ってみたのだが、午後二番でした。 その後も女子のカーリングやら女子団体パシュートを観てしまって、事務仕事をやれずに終わってしまう。 やっぱりね、スポーツにはドラマがありますからね。僕のようにスポーツ観戦(といってもこれまではほとんどラジオの中継ですけど、オリンピックはテレビとネットの中継で応援してます。)の好きなものは、そのあたりの魅力にしびれるわけですね。 昨夜の女子カーリングの対韓国戦。「メガネ先輩」すばらしかったですね。あんなの連発された…
「声無哀楽論」は、当時の音楽論としてのみならず、当時の玄学や儒教批判の文脈、また文学としての評価など、さまざまな観点から読むことのできる文献ですから、研究も数多くあります。今回記事を書くに当たって読んでみた論文は以下です。 福永光司「嵆康における自我の問題―嵇康の生活と思想」(『東方学報』32、1962) 宍戶友紀「嵆康の「聲無哀樂論」について」(『中國文學報』76、2008) 玉木尚之「音楽と感情 : 「声無哀楽論」の嵆康の論の問題」(『高知大学教育学部研究報告』73、2013) 福永氏は、他にも「嵆康と佛教 : 六朝思想史と嵆康」(『東洋史研究』20-4、1962)など、嵆康に関する研究を…