福田復彦 日本人社会の場合は老若男女、育った家庭環境、教育の程度などが異なっても国民全体としての共通とか常識的な考え方が存在します。例えば会社などでも高齢の社長と入社したばかりの社員とが日常的な話をしても相互理解が成り立ちます。つまり社会全体が野菜ジュースのような状態にあると言えます。 しかしメキシコの場合は、社会階層によってこれが成立しないことがあります。例えで言うと、レストランのサラダバーの如く、それぞれの野菜が別々のボックスに入っていて他の野菜とのコンタクトはありません。つまりブロッコリーはブロッコリーだけの、またレタスはレタスだけの、トマトはトマトだけのボックス社会を構成しておりその中…