明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。 初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。 だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残った穴(・)めがけ、一か八かの吶喊を試みずにはいられない。 ――「戸主六十歳以上の嗣子は徴兵を猶予せらるゝ」。 穴(・)の中でもこの一条は、割合長く気息を保った方だった。 (Wikipediaより、徴兵検査通達書) 当局は何故こんな規定を態々設け、留めて置くに至ったか? 理由は、まあ、色々と、複雑多岐な事情とやらを勘案してのことだろう。 だがしかし、齎した結果…