精神科医。プロ野球コミッショナー。 内村鑑三の長男。ドイツ留学ののち、1928(S3)北大教授となり、東大教授、東京府立松沢病院長などを歴任。定年後は国立精神衛生研究所長、神経研究所長などを務める。傑出者の脳の研究、双生児の研究など多くの業績を残した。一方、学生時代左腕投手としてならし、62〜65プロ野球コミッショナーとなる。日本学士院会員、東大名誉教授
ウェルビーイングに関連する記事を紹介します。 「一老医学者の回想記」 (内村祐之『精神医学者の滴想』中公文庫 精神医学者の滴想 (中公文庫) | NDLサーチ | 国立国会図書館 1983年)のp175 ウォルレンベルグ(精神医学者)の回想記の巻末 「私にとって生涯の本当の幸福と思われることを終りに述べよう。愛することの出来る心を獲ること、値打ちのあることを少しでもすること、勤勉に生きること―立派に死ぬること、それ以上望むのは愚かである。第一のことは私に一部分出来た。第二のことと第三のこととを私は絶えず努めた。最後のことを私は希望している。」 こういう意見もあるとは。 以上です。