(1940-1945)情報政策を司った役所。内閣総理大臣に属す。官房及び5つの部(総計17課)よりなる大組織として発足し,30名の「情報官」が配属された。情報の一元的管理を目指したが,陸海軍の権限は当初統合できず,それが実現したのは1945年4月。9月27日のマ元帥と昭和天皇の写真を掲載した新聞を発禁にしたことから連合軍覚書により取締り機能が止められ,1945年12月31日に廃止。(参考『国史大辞典』10巻p.497-498)
「S論文」は重光葵が1954年に発表した政治論文である。後に暴露されて政治問題化し、宮城進軍事件のきっかけの一つとなった。重光葵(1887-1957)
「前衛」6月号について「興味のある内容」のうち「俺なりに何とか紹介できそうな内容」だけ簡単に触れています。「俺の無能」のため「赤旗記事の紹介」でお茶を濁してる部分が多いです。なお、次号で触れるのかもしれません*1が、統一地方選についての言及は特にありません。◆有機フッ素化合物PFAS汚染は国の責任で究明・対策を(山添拓*2) ◆ PFAS(有機フッ素化合物)による汚染と血中濃度測定、毒性研究:沖縄、大阪・摂津、東京・多摩での調査に関わって(小泉昭夫*3) (内容紹介) 新刊紹介:「前衛」2023年2月号 - bogus-simotukareのブログで紹介した ◆地域の宝・多摩の地下水がPFAS…
本書「反戦川柳人 鶴彬の獄死」の中に、短歌界の重鎮である斎藤茂吉と戦前・戦後俳句界に長く君臨した高浜虚子についても触れられていた。 藤沢周平は山形出身である。その藤沢周平が、同郷の斎藤茂吉の戦争責任を厳しく追求していることが書かれていた。藤沢は「高村光太郎と斎藤茂吉」と言う題で山形で講演をしている。その中で藤沢は次のように語っている。「高村光太郎と斎藤茂吉はほぼ同じ時期に生まれている。そして二人は同じような経歴や状況を過ごし、二人とも戦争に協力してきた。光太郎は大政翼賛会の中央協力会議の議員になり、文学報国会の詩部会会長を務めた。そして、戦争を賛美し、国民をそれに駆り立てる詩を書いてきた。戦後…
(上三枚は4月18日参議院会館にて「日本の尊厳と国益を護る会」の「第三回カウンターインテリジェンス分科会」の模様 みなさんこんにちは、中今〇ノ丞です。 今回は4月18日に参議院会館にて「日本の尊厳と国益を護る会」が「第三回 カウンターインテリジェンス分科会」を行い、「スパイ防止法すなわちカウンター インテリジェンス」の制定についての勉強会が開かれたその模様を、青山議員が アップされていますので、それを取り上げます。 動画の内容は スパイを叩き出さないといけない ●カウンターインテリジェンスのカウンターというのは反撃して戦うということ。 ロシア・中国・北朝鮮のスパイたちが日本で勝手なことをしてい…
(2023/4/28) 『20世紀のファウスト 下 』 美しい戦争に飢えた世界権力 鬼塚英昭 成甲書房 2010/3/11 <ケネディ暗殺の謎> ・グロムイコの『回想録』の中にケネディ暗殺の秘密の鍵が記されている。 「実を言うと、米ソ両国が緊密な関係になるのを喜ばない二種類のグループがアメリカ国内にあります。一つはイデオロギー的見地からいつも関係改善に反対する人々で、こうした不満分子はいつの世にもいるものです。もう一つのグループは「ある特定の民族」の人々です。(ユダヤ・ロビーのことを指していた)彼らはいかなる時でもクレムリンがアラブを擁護しており、イスラエルの敵であると疑わない。このグループは…
IQ500の狂人ダンテが率いる暗黒組織インテリペリが構築したスーパーコンピューター「オメガ」。全世界のあらゆる情報をインプットし、起動すれば神羅万象の未来を予見する事ができる京も富岳も裸足で逃げ出す神の頭脳…になるはずでしたが起動失敗。原因はデータの入力漏れ。たった一人の男の名前を正しく入力できなかったため、オメガは起動しませんでしたた。その男の通称は「バカボンのパパ」。調べてみると住民票から銀行の通帳まで全て「バカボンのパパ」。役所の窓口がいくら問いただしても口を割らず、ついには「パ行」でしか話せなくなってしまったという。 この事実を掴んだ内閣情報局が行動を開始。一方、テンテリペリもこの難問…
(2023/2/9) 『知られざる世界権力の仕組み 上』 ロスチャイルド&ロックフェラー帝国の全貌 ユースタス・マリンズ 成甲書房 2017/12/9 <はじめに> ・世界権力の手先たちは、人類に対する犯罪を武装勢力や法制度によって処罰されることを恐れる以上に、みずからの正体を暴露されることを恐れている。姿を隠して世界権力を操る者たちはごく単純な手法によって権力を維持してきたことを、わたしは突きとめた。 その手法は仮面舞踏会にたとえることができる。舞踏会用の仮面のおかげで、「グノーシス派」つまり「智恵ある人びと」は、だれが味方でだれが敵か見分けることができる。だれがどんな仮装をしているのか、彼…
小生が何とか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。 特集『日記の歴史学:その新たな可能性』 ◆文学研究から見た日記研究と歴史学(中丸貴史*1) (内容紹介) 藤原師通の日記『後二条師通記』を中心に論じられていますが小生の無能のため詳細な紹介は省略します。 なお、「文学研究から見た日記研究」ですが、中丸論文によれば中世日記研究においては未だに ◆『和泉式部*2日記』 ◆藤原道綱母*3の『蜻蛉日記』 ◆藤原長子の『讃岐典侍日記』 ◆菅原孝標女の『更級日記』 ◆清少納言*4の『枕草子』 ◆『紫式部*5日記』 といった…
こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。 今回は各政党と研究会の憲法改正諸案に関するサイトのリンク集です。投稿から日数が経過している場合はリンク切れ発生してる可能性がありますので、その点ご了承ください。 学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
(2022/12/10) 『Qを追う 陰謀集団の正体』 藤原学思 朝日新聞出版 2022/9/20 <QAnon> ・なぜ、私はロンに密着していたのか。 それは、陰謀論集団「QAnon」の取材の一環だった。 キューアノン、と読む。政府の機密情報に触れられる人物、あるいは集団が「Q」であり、Qの言葉をよりどころとする名無しの(Anonymous)信奉者たちを指す。 《米国の政府やメディア、金融界は、児童の性的人身売買を世界規模で行う、悪魔崇拝の小児性愛者集団によって支配されている》。そんな荒唐無稽な作り話を柱として、2017年秋から、最初は匿名掲示板を中心に、その後は主要なSNSで広がり始めた。…
iPhoneアプリゲーム「文豪とアルケミスト」。 三冊目は織田作之助の「青春の逆説」だった。 Kindle Unlimited(読み放題)で利用できる本があったので、さっそくダウンロードして、最初から読んでみている。 青春の逆説 作者:織田作之助 グーテンベルク21 Amazon 青空文庫版もあるようだ。 青春の逆説 作者:織田 作之助 Amazon お君という官能的な美少女が主人公らしい。 母親に早く死なれ、浄瑠璃の写本を生業とする無口な父親を手伝って暮らしていたお君は、軽部という教員の家に本を配達しにいって強姦され、その後結婚を申し込んできた軽部の家に入り、あっという間に妊娠出産したかと思…
#今日は何の日 12/6 1213地震が相次いだ為、建保に改元。1219年に承久に改元。 1768『ブリタニカ百科事典』第1版が発行 1877『ワシントン・ポスト』が創刊。 1877エジソンが、自身の発明した蓄音機で初めて人の声を録音。自分で歌った『メリーさんの羊』 1912「朝日新聞」で夏目漱石の『行人』が連載開始 1917フィンランドが帝政ロシアからの独立を宣言。 1922イギリスがアイルランドを自治領と認めアイルランド自由国が成立 1927政治雑誌『労農』が創刊。 1940内閣情報局設置。外務省情報部・陸軍情報部・海軍軍事普及部事務・内閣検閲行政・逓信省電波行政の各部門を内閣情報部に統合…
前回、『女人芸術』創刊号の「評論」は山川菊栄「フェミニズムの検討」、神近市子「婦人と無産政党」に続いて、望月百合子「婦人解放への道」が並んでいることを既述しておいた。その内容にふれると、婦人解放は単なる参政権の獲得や職業上の平等だけでなく、男子の解放も意味し、自由と平等と相互扶助の精神を体現する連帯生活に求められるべきだという主張である。 (『女人芸術』創刊号) さらに望月の論に踏みこまないけれど、『女人芸術』創刊時の昭和初年において、彼女は中條ならぬもう一人の百合子として、山川や神近に匹敵するフェミニズム陣営の論者だったことになる。だが『神近市子自伝』に山川(青山)菊栄は出てきても、望月は登…
1 「これからは僕がずっと一緒だから、安心してよ。木下恵介から、ただの木下正吉に戻るよ」 静岡県浜松市 米津(よねず)の浜 「昭和18年。太平洋戦争の最中、木下恵介は『花咲く港』で監督デビューした。浜松出身の木下は、この場所でもロケを行い、実家からこの浜へ通ったという。木下は、同じ年に、『姿三四郎』で監督デビューした黒澤明と共に、優れた新人監督に与えられる『山中貞夫賞』を受賞。幸福な監督人生を歩み始めた」(ナレーション) 「花咲く港」から、昭和19年に製作された「陸軍」へと映像が遷移する。 「しかし、戦局の悪化と共に、国家から国民への戦争協力がより一層叫ばれ、映画界は戦意高揚の作品作りが求めら…
野田先生へのSNS上の追悼文を集めています。 河北新報の9月16日の一面のコラム「河北春秋」に野田一夫先生の追悼文。 この記事を送ってくれた富田秀夫さんの追悼文。 野田一夫先生ご逝去、ショック、悲しい。私の恩人であり、私の人生をいい方向に導いて頂いた巨人。昨年末に食事をご一緒させて頂いたばかり、半年余りで亡くなられるとは思いも寄らなかった。95歳、私の弔辞は先生にお願いしますよと冗談を言ってたが、100歳前に亡くなられるとは想像だにしなかった。先生は多摩大学・宮城大の初代学長で秋田国際教養大・事業構想大学院大学などユニークな大学も創立された。平成の吉田松陰と謂われ、ソフトバンクの孫さん、パソナ…