車の中で、1stアルバム「剃刀乙女」と6thアルバム「qp」を聴き比べた。初期は毒や棘で張りつめていた歌声が「qp」では大らかに開かれている。 自分が世俗的な苦しみに悶えていたとき、一番そばに置いていた音楽は「剃刀乙女」の中の「路標」だった。調和しない音波で満ちた外の世界を毒や棘で遮断し、そうして切り離した空間を自分だけの歌で満たし、自我の濃度を高め、そうして自分を保っていた。そうした行為をするために、傍らに路標を置くことがどうしても必要だった。 やがてシェルターの中で歌がこだまし、段々と歌がそれ自体の広がりや深まりを豊かにしてゆき、自律的に蠢く空間を為したとき、体は歌の空間に全て委ねられ、そ…