7世紀の日本には大きな出来事がありました。それは中大兄皇子などを中心とした宮廷勢力が豪族の長であった蘇我氏を滅ぼし大化改新を行ったことです。巷間言われるように、中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼさなければならなかったのは単なる権力争いではありませんでした。大化改新がなされたまさに645年、唐の太宗は10万人の大軍で高句麗に攻め込見ました。倭国は高句麗・百済と親交があり高句麗の次に唐が攻め込んでくるのは倭国ではとの恐怖に駆られました。当時の倭国は、それぞれの地域で豪族が乱立した状態であり対外的にとても結束などできる状態ではありませんでした。唐からの攻撃が予想される中で倭国としては国内の権力を天皇のもとに集…