また言われてしまった。もう何十回と言われている言葉たち。私が劇的変化をしなければ、生きてる限り一生言われ続けるのだろう。だけどどうだろう、てんで効果がないとは思わないのかしら。それでも続けられるともはや執念というか、期待過剰なんじゃないかと思えてくる。まだ、私が“まとも”で“普通”で“やればできる子”で、“能ある鷹は爪を隠す的な期待値がまだある”と思っていて、“いつか、いつか”と“安心できる存在”になるのを待っているのかしら。 誰かと共に暮らす、というのはもちろん恵まれているが、同時に疎ましく思う部分も多い。生まれたくて生まれたんじゃない、を始まりに、居たくてここに居るんじゃないと、自由な足を…