女院は今年の春の初めから ずっと病気をしておいでになって、 三月には御重体にもおなりになったので、 行幸などもあった。 陛下の院にお別れになったころは御幼年で、 何事も深くはお感じにならなかったのであるが、 今度の御大病については 非常にお悲しみになるふうであったから、 女院もまたお悲しかった。 「今年はきっと私の死ぬ年ということを 知っていましたけれど、 初めはたいした病気でもございませんでしたから、 賢明に死を予感して言うらしく 他に見られるのもいかがと思いまして 功徳《くどく》のことのほうも 例年以上なことは遠慮してしませんでした。 参内いたしましてね、 故院《こいん》のお話なども お聞…