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北条義時

(社会)
ほうじょうよしとき

鎌倉幕府二代執権。北条時政の次男(四男説も)。法名徳崇。
一時、別家し江間小四郎義時と名乗ったように、本来北条家は父・時政の後妻・牧野の方の子の北条政範が継ぐはずだったが、政範は1204年に夭折。
後継者不在の中、翌年牧の方事件で、牧の方と父・時政を追放。
姉の北条政子の後援のもと、義時が本家に戻る形で、北条家当主となり再び北条義時名に戻る。法名が『徳崇』だったため、以降の北条家本家当主は歴代『得宗』と呼ばれるようになった。

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