源頼朝は平家打倒の兵をあげると、瞬く間に勢力を伸ばし新たな武士政権【鎌倉幕府】を作り上げました。 頼朝のもとには、関東武士を中心に源氏の家臣、平家の治世に不満を持っていたもの、頼朝の妻や母などのゆかりの人々や京都から新天地を求めてやってきた貴族など様々な人が集まりました。 そんな彼らは、自らの主【源頼朝】を鎌倉殿と呼びました。 頼朝の死後、息子・頼家が鎌倉殿を継承しますが、その地位は決して安定したものではありませんでした。 この鎌倉殿を支える存在として選ばれたのが、北条義時や父・時政をはじめとする13人の重臣たちでした。 十三人の合議制と鎌倉殿の13人 十三人の合議制とは何か どうして十三人の…