実父は三好義賢、十河一存の養子となる。 永禄4年(1561年)十河一存の死去に伴い家督を相続する。 天正10年(1582年)中富川の戦いで長宗我部元親に敗れる。 天正11年(1583年)長宗我部により十河城が落城し、京へ逃亡する。 天正13年(1585年)秀吉の四国征伐により讃岐に3万石知行を与えられる。 天正14年(1586年)戸次川の戦いで戦死。