編集者、映画評論家。1951年、香川県高松市に生まれる。 1975年、中央大学文学部フランス文学専攻を卒業後、出版社に勤務。8ミリ専門誌、カメラ専門誌、ビデオ専門誌、広告写真専門誌、デジタルデザイン誌などの編集部を経て、2003年より総務経理部に異動。 これまでに観た映画は数千本。1999年よりメールマガジン「日刊デジタルクリエイターズ」に映画を中心としたコラムを連載。2005年にはその中から41編をセレクトし、500部限定書籍を制作。
いつの間にか、Twitterで愚痴をこぼすことを下らないと思うようになった。いや、人間生きていれば愚痴も言いたくなる。それはわかるのだけれど、少なくとも私は愚痴やボヤキの類をTwitterで書かなくなったと自覚している。私はそんなに強い人間ではない。むしろとことん弱っちい人間だ。昔、いつもTwitterで「どうして自分は発達障害者として生まれてきたのだろう」と書きこみ自分がいかに悲惨な人かをアピールしていたことを思い出す。あの頃から比べると、自分はそれなりにたくましくなったのかもしれないなと思う。今日は遅番だった。朝、十河進『映画がなければ生きていけない 2010-2012』を読む。太宰治につ…
今朝、ジュディスさんがclubhouseで開いたルームに参加させてもらった。そこで私のメモパッドの話をする。アイデアを英語で書き付けていること……話しながら、やはり自分の英語はまだまだだと思った。とっさに口から出てくる言葉が意味が通じるものか、自信が持てない。でもジュディスさんはいつものように、私のが話したいことを汲み取って下さって彼女自身の日記やメモについて話して下さった。いつもジュディスさんはこうして参加者をフォローして巧みに話を引き出して下さる。この話術と人柄に改めて惹かれるものを感じた。今日は休みだった。イオンに行き、そこで十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』の残…
今日は遅番だった。朝、いつものように十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』を読む。Twitterでふと彼の本のことを知り、手に取ろうと決めて買って読み始めたのが確か私が40になった頃のこと。それ以来、私にとってこの人は「どう歳を重ねるか」という意味でモデルとなり続けている。私ももう47歳。これから老いて枯れていく過程に入るのだけれど、この十河進のように素敵な歳の取り方、成熟の仕方をしたいと思っているのだった。私には他にもそんな、「自分の前を歩いている人」が友だちとして存在する。これはとても幸せなことだ。オリジナル・ラブの曲を聞く。「ミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ」とい…
前にも書いた通り、私はズボンのポケットにマルマンから発売されているニーモシネというメモパッドを入れて持ち歩いている。そしてそのメモパッドに英語でメモを書いている。前は日本語の文章を思い描いてそれを頭の中で英語に訳すという段取りで書いていたのだけれど、今では英語がダイレクトに浮かぶようになってきた。どうしてなのかはわからないのだけれど、強いて言えばそうして英語を思い浮かべられるということは練習の成果なのかもしれないなと思う。だが、もちろんこれは一朝一夕で身についたことではない。効率を求められる時代である。だから地道な努力というか、時間をかけて何かを学び取るということは分が悪い。だけど、私が英語で…
今日は遅番だった。朝、十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』を読む。本の中で紹介されていたフィル・ウッズのジャズを聴きながら、かつての自分のことを思い出す。20代の頃は自分はジャズには目もくれずブリットポップばかり聴いていたのだけれど、人は変わるものだ。今ではジャズの方に関心が向いている。「映画がなければ生きていけない」というタイトルから自分の場合はどうだろうか、と考えてしまう。私は多分音楽と本と、こうして書き続けることや英語を学び続けることがなくなったら生きていけないだろう。自分はどうしてここにいるのだろうか、と考えてしまう。もしかしたらもっといい人生を送れていたのではな…
今日は休みだった。朝、知り合いから「マイナンバーカードを持っているか」という話題でLINEが届く。私は実を言うとマイナンバーカードをまだ作っていない。マイナンバーカードは失くすと万事休すになってしまうので、発達障害者である私としては作ることに二の足を踏んでいるのだった。だが、将来的には日本は保険証を無くしてマイナンバーカードに統一する方向に向かうとも聞いているので、今こそ作るべき時なのかもしれない。個人情報をどう管理するかという問題でもあるだろう。これ以上のことは私にはわからないので、相談してみようと思った。朝、いつものようにイオンに行く。そこで本を読もうかと思ったがどんな本を読んでみても頭に…
今日が私の46歳最後の日ということになる。46歳……中上健次とカミュはこの年齢で逝った。彼らは綺羅星のような作品を残した。私は何も残していない。ただ、馬齢を重ねてしまった。とは言え、生きているということはいいことだ。この歳まで生きて、「身体で」そう感じるようになった。坂本龍一の音楽、特に「energy flow」や「戦場のメリークリスマス」を聴きながら1人で感傷に浸る。彼が「ぼくはあと何回、 満月を見るだろう」と問うていることを踏まえて、私もあとどれくらい生きて、どんな風景を見ることになるのか考える。今日は仕事だった。昼休み、スチャダラパー「サマージャム'95」を聴く。夏になればこの曲が欠かせ…
朝、総合病院に行き先生と会う。昨日のことを話す。ミーティングが終わった後落ち込んでしまったこと、自分だけのつらい時の「しのぎ方」を学ぶ必要があるということ。その後薬をもらい、そしてイオンに行き十河進の本を読んで過ごす。そうしているとまたつらい気持ちになる。このままでいいのかなあ、と。自分の根っこにあるのはペシミズムというかネガティブ思考なので、人間が生きることはどうしたってつらいとも思う。それを癒やすのは昔はレディオヘッドやナイン・インチ・ネイルズのようなヘヴィな音楽だと思っていたが、今はトム・ウェイツのバラードに惹かれている。人が生きることそれ自体の悲しみを見つめた芸術に惹かれているようだ。…
今日は遅番だった。仕事前にいつものように十河進のコラムを読んでいたら、映画『トップガン』の監督トニー・スコットについて書かれた文章が目に留まった。自殺を選んだということ……人はどんな風にでも死ねる、と書かれていた。実を言うと私も、酒に呑まれていた頃は自殺をずいぶんイージーに考えていた。いつでも死ねる、と思って……それが勇気の証だと思っていた。私は浅はかだった。普通の生活、堅実に築き上げた生活を厳しい時代に抗って守り抜くということの方こそ勇気が要る行動だということがわかっていなかったのだ。ビル・エヴァンスの死についても十河進はコラムで書いている。彼の人生は緩慢な自殺への過程と言ってもいい生き様だ…
これでいいのかなあ、と思う。仕事をして、そして時間が空いたら映画を観たり本を読んだりして過ごす。今のところそれは上手く行っているようで、仕事の方はジョブコーチを利用して様々なアイデアを試せるところまできている。そしてプライベートな時間の読書は十河進や片岡義男、小西康陽やポール・オースターを読んだりして過ごしている。映画の方は手当たり次第かつアホみたいに観てきた映画が700本に達しようとしている。そして、今のところこの時間の過ごし方で特に問題というものは起きていない。だからこれでいいのだろうな、と思う。でもどこかスッキリしない。これについて昼休み考えたのだけれど、答えが出てこなかった。単に自分の…
自分の人生を振り返る。決してカッコいいとは言えない、でもかけがえのない人生。こんなに味わい深いものになるとは思ってもみなかった……20年前、ポール・オースターを読み耽って過ごしていた頃は20年後こんな風になるとは思わなかった。考えてみればリリー・フランキーだって20年前はイラストレーターとして名を馳せていたのが、今や邦画になくてはならない名優。世の中そんなものなのかもしれない。これから10年あるいは20年、どんな風になるだろう。まったく予測できない。予測がつかない混沌の中に今日も私は我が身を晒す。セ・ラ・ヴィ。この人生において自分は何をしたいのだろうか、と今一度考える。さしあたって今、自分は映…
毎日日記を書いていると書くことはどうしたってマンネリになる。私の場合、過去にずいぶん長くヘビードリンカーとして過ごしてしまったこと、自殺未遂までしたこと、そこから立ち直ろうとして今まで生きてきたこと、などがある。とはいえ深刻な話題ばかり書いていても読者はうんざりするだけだろう。私としては目指すところはラジオ番組のノリというか、DJの軽快なトークを目指している。気が向いた時に読者が読みに来てくれて、そこから何かしら学んだり、あるいは単純に気晴らしというか、古風な言葉を使えばパスカルが『パンセ』で言うところの「気散じ」になればいいなと思っている。今日、ふと北野武の映画『キッズ・リターン』のことを思…
今日は遅番だった。朝、マッコイ・タイナーを聴きながら十河進の本を読んだ。何だか自分は(今に始まったことではないが)スノッブだなあ、とも思う。いつも書いているけれど、20代・30代はジャズなんて見向きもしなかったのに今ではずっとジャズばかり聴いている。若い頃に背伸びをしてクラブ・ジャズ(United Future Organizationとか)を聴いてみて、ぜんぜん理解できず途方に暮れたことを思い出してしまう。まあ、どんなものも理解するためには時間をかけて学ばなければならないのだろう。今ならUnited Future Organizationのよさもわかる気がする。十河進のエッセイで上昇志向につ…
今日は遅番だった。朝、ふと自分の人生を考える。私は子どもの頃、小説家になりたいと思っていた。リルケやカフカに倣って、書くことによってしか自分は生きていけないと思って……結局その夢は叶わなかったわけだ。だが、書くことは今でもこうして続けている。多分書くことはこれからもずっと続けるのだろう。そして多くの素敵な人たちと出会って、楽しい思いもした。それは否定できない。今はジョブコーチを実現させたり、英語を学びたいと思っている。人生は長い。だから、焦ることなんてない。自分なりになりたいものになれればいいなと思う。父から、近所にあるレストランに行かないかと誘われた。休みが取れたら一緒に行ってみようと思う。…
お昼、うどんを食べながら考えた。自分は結局左翼として生きてきた。そして恐らくは左翼のまま死んでいく。でもどうして左翼思想に惹かれるのだろう。それはわからない。私は実を言うと、恥ずかしながらマルクスを知らない。ドゥルーズもフーコーも知らない。不勉強の誹りを免れ得ない人間だ。ただ私は自分のような弱者への救済が施される思想が右翼/ナショナリズムではなく左翼/リベラリズムであると信じて生きてきた。国という崇高な概念にすがるのではなく、もっとピースフルな概念を信じて生きていきたいと思ったのだった。私はそんなアホな人間なので、自分の信じる思想/イデオロギーを形作った素材も思想書ではなくもっと怪しげなもので…