信長の棺 作者:加藤 廣 日本経済新聞社 Amazon 光秀の進軍経路は、破軍の星(北斗星の第七星)を背中に戴くための迂回であり、計画的である。 信長が本能寺を選んだのは、小さいから。つまり、目立たず改造(=抜け道)をつくりやすいから。そして、南蛮寺にも地下蔵があった。 →「本能寺と南蛮寺の間には西洞院川があり、当時の土木技術では川の下には穴を通す技術がないので不可能」 秀吉の父は丹波者で穴掘り職人である前野一党(前野将右衛門長康は秀次失脚事件に連座)をつかってその抜け道を事前にふさいだ。蜂須賀、前野、美濃の斎藤も丹波者。 連歌の会の出席者は秀吉と交流のある紹巴一門で占められているので本音を歌…