第1図 関係地図 (国土地理院地図に加筆) 雫石盆地は、岩手郡南西部にあたり、北上川沿いの岩手郡、斯波郡から、出羽の秋田方面へ向かう道筋で、周囲を山に囲まれた盆地である。中世滴石の鎌倉時代の動向は不明確。滴石の戸沢氏(滴石氏)が史料に明確に表れるのは、南北朝内乱期に入ってからである。 延元3年(暦応元年:1338)南朝の陸奥守北畠顕家は、足利勢討滅のため西上したが、和泉堺浦(大阪府堺市)で、足利の高師冬と対戦して敗死。この時、南部政長(八戸氏:根城南部氏)の兄師行も、顕家と運命を共にしている。 吉野の南朝からは、北畠顕家の弟顕信を、陸奥鎮守府将軍として奥州に派遣した。 興国元年(1340)牡鹿…