武田勝頼の三河侵攻により勃発した徳川と武田の激突、長篠設楽原の戦いです。「鉄砲三段撃ち」や「武田騎馬軍団vs鉄砲隊」の話が取りざたされますが、戦いに至る流れやその後の動きなどを見ることによって、真の長篠設楽原の戦いが見えてくると思います。今回はこの戦いに迫ります。 ※長篠合戦、長篠の戦い、長篠役など呼び方がいくつもありますが、本稿では長篠城での戦いと設楽原での決戦を合わせた「長篠設楽原の戦い」と表記しました。 長篠城の攻防と設楽原での激突 長篠城の攻防と、設楽原での激突。長篠城救援部隊(酒井忠次隊)の動き 1575年(天正3年)4月、武田信玄の後を引き継いだ武田勝頼は15,000の大軍を率いて…