東山道武蔵路続編 ネット上で公開されている木下良氏の論文(*)から p118に素人が求めている数値の紹介があった (以下引用その1""内) "これらの道路は宝亀2年(771)に武蔵国が東山道から東海道に所属替えになる以前の,上野国新田駅と下野国足利駅とに連絡する東山道武蔵路に当ることが確実となり,従来諸説があった武蔵路の路線がほぼ明確になった。"(以上引用)(以下引用その2""内) "東の上遺跡(**)では側溝内に人為的に埋納されたと見られる須恵器があり,その年代から道路の築造も7世紀第3四半期に当ると見られることが明らかにされた。"(以上引用) * 地学クラブ講演要旨 木下良著『古代日本の計…