先日、高校文化祭について、男子校での女装、ミスコンについて書いたのだが、「女装」「男の娘」という単語には、なにかしら、そわそわするものがあるようだ。高校生活の種々の出来事の中で、文化祭の中の一場面を記憶しているのが、不思議でもあるが、生徒や観客の感情に、直接訴えるものがあったのだろう。ある種の感動のごときものが生じたのか。教育活動には、プラトンが説いたように、微妙なものが存在するようである。 ミス高高コンテスト 決勝【第61回翠巒祭】 youtu.be群馬県立高崎高校は、元総理の中曽根康弘氏や福田氏の母校である。自由な雰囲気で、子供たちの自信と自我の主張とが見えて、なかなか好ましい。教員の顔が…