長らく待たせたな… 書く方は大変なんだぞっつの。今回の記事の主旨は「民族音楽を演奏するという行為はなにか?」「民族楽器をどう捉え考えるべきか?」という根源的な問答になります。が、楽しそうな議題とは裏腹に、ご実践の方にとっては身につまされる、そこまで罵られてはやりたくなくなる…かもしれないほどあけすけな切り口や意地の悪い詭弁が多数ございます。「‘型’ の ‘理解’ こそ敬虔」とお考えの ‘型’ の ‘理解’ へのしがみつきがいかに自発的な発露を妨げているか、誰かが口火を切ることによって澱みがいっぺん排出されることを願いつつ、文化を担うということの裏腹や、我々に足りてこなかった視点と必要を提唱する…