「三国志」の「合肥の戦い」「合肥新城の戦い」で知られる中国の地名。現在の安徽省の省都で水陸交通の要地である。
人口は154万人、製鉄や化学などの重工業が発達している。
合肥の戦いは215年8月に呉の孫権が10万の兵を率いて魏との国境にある合肥城を攻めたのを契機として勃発した。
当時の合肥城の主将は張遼でわずか7千の兵しか与えられていなかったが、張遼は李典と共に約800の兵を率いて孫権の本陣を奇襲し、大勝利を収めた。
合肥新城の戦いは253年に姜維の北伐に応じた諸葛恪が合肥の新城を包囲。
しかし数ヶ月かけても城を落とすことができず、疫病も発生したので退却した。
なお、合肥の地名は多くの場合「ごうひ」と読まれるが三国志においては「がっぴ」と読む場合が多い。