おとぎ話「桃太郎」のモデルといわれる大吉備津彦命を祭神とし、平安時代にはすでに「三備一宮(備中一宮)」として、歴代の朝野に崇められていた由緒ある社。本殿は屋根に千鳥破風が2つ並ぶ、特異な「吉備津造り」(比翼入母屋造)で国宝に指定されている。また、あじさい園 、ぼたん園、梅林等でも有名。(国宝本殿・拝殿は平成20年春まで屋根葺替工事中)
1日の日に家族で 吉備津神社に初詣でに行きました。 10時ごろに着いたら、 吉備津駅のところの信号で 少し右折待ちしたくらいで、 割りにスムーズに 駐車場(500円)🅿️に停められましたよ。 御朱印もいただきました。 おみくじは、小吉でした。 今年も、家族が健やかで 穏やかに過ごせますように💕 書きながら、 これを今年1回目の記事に すれば良かったなぁと 今更思いました😅 こちらを押していただけると 更新の励みになります。 ランキング参加中ライフスタイル
夏の青春18きっぷ8日目(8回目)は岡山県です。 大阪の実家から愛知に帰る前に寄り道しました。 移動距離、移動時間とも、なかなか大変な寄り道になりました。 姫路駅 相生駅 岡山駅 伯備線 ももたろう線 吉備津神社 愛知へ帰ります 姫路駅 家を出て姫路駅で播州赤穂行き普通電車に乗り換えて相生へ向います。 相生駅 相生駅で2分の乗り換えで岡山行きに乗車です。 混雑していましたが、なんとか補助席を確保できました。 相生ー岡山間は物理的な距離以上に心理的にどーんと疲労度が増す区間ですね。 編成が短いためたいてい混雑していて、景色も単調です。 スーパーはくとやスーパーいなばを先行させるために、途中駅での…
Gooブログに「スサノオ・大国主ノート157 温羅(うら)は『吉備王・占(うら)』」をアップしましたので紹介します。https://blog.goo.ne.jp/konanhina 母の出身集落が兵庫県たつの市揖保川町の「浦部(町史では占部説)」であり、吉備津神社の「温羅(うら)」を祀る「御釜殿」の横で乳幼児期を過ごしていたという偶然の符合があり、さらに両親が一時入所していた海側のケアハウスの前の雛山(父の名字は雛元です)から「阿曽ピンク石」の石棺の蓋が発見され、温羅の妻が「阿曽姫」で各地の阿曽が製鉄地であったという符合から、「温羅=占」王であり製鉄王であった、ということなどをまとめました。 …
吉備津神社とは 一童社 本堂 見応えある境内 訪れ方 おすすめ商品 吉備津神社とは 吉備津彦命と温羅にまつわる伝説が残る場所で、鬼退治の舞台を体感できます。矢置岩や御竈殿など見どころが多く、釜の音で吉凶を占う「鳴釜神事」も人気です。1425年に再建された本殿と拝殿は、全国唯一の吉備津造りで国宝に指定されています。また、360mの美しい廻廊は歴史的建造物として一見の価値があります。 一童社 吉備津神社の一童社は、学問と芸術の神として、江戸時代の国学者たちから篤い信仰を受けていました。近年では、受験の神様としても信仰されるようになっています。 本堂 本殿・拝殿(国宝)は、室町時代の応永32年(14…
東京から(新大阪からハローキティ新幹線)乗車して来た新幹線を岡山駅で下車して、在来線ホームにやってきた。 しばらくすると、レトロな列車がやってきた。 岡山からは吉備線に乗車。吉備線は桃太郎線という愛称がついているのだそう。 車内放送では、桃太郎線と愛称がつくだけあって、「♪桃太郎~桃太郎さん」の曲が次駅案内時に流れていた。 吉備線は1時間に1~2本程度の運転本数で、立ち客がでる程に混雑していた。 岡山駅から20分程で吉備津駅に到着。 ここから徒歩で吉備津神社に向かう。 地方の駅っぽく無人駅。なのにICカード対応の改札機があるという。 きっぷ売り場は、食券を買うような機械で販売されていた。 吉備…
昨日の元日の朝、 お雑煮を食べてから 吉備津神社に初詣に行きました。 御朱印もいただきました。 9時代に行けば、 吉備津駅の交差点までは スムーズで、駐車場🅿️にも わりにスムーズに入れました。 なので、参拝もスムーズにできました。 ただ、お守りなどを買うのには 列がかなり長かったです。 御朱印をいただくのは、 5分ほど待っていただけました。 今年も、心洗われるような きれいな文字の御朱印に感動しました。 破魔矢は、少し下の場所で売ってました。 こちらは並ばずともすぐ買えました。 今年の家族の安寧を願ってきたのに、 イオンモールに行って帰ってきたら、 北陸地方の地震…。 これ以上被害が広がらな…
皆さんこんにちは。今回は桃太郎伝説で有名な吉備津神社に行ってきました。泊まっていた場所から10km程だったので、すぐ到着しました。 吉備津神社とは 岡山県岡山市に鎮座し、大吉備津彦大神を主祭神とする神社です。縁結びや安産育成、健康長寿、交通安全などのご利益があります。また釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜神事や桃太郎伝説の舞台として有名な場所です。 鳥居の前に矢置岩がありました。ご祭神である大吉備津彦命と温羅の戦いの時に射た矢を置いたとされる岩です。 長くなりましたがやっと登っていきます。緩やかな階段を登ると北随神門が見えてきます。1543年に再建された国の重要文化財です。もう少し階段を登っていくと本…
備後一宮吉備津神社に伝えられた太刀。尾道で活動した刀工・五阿弥長行が制作し、天文二十四年(1555)に寄進された。毛抜形太刀と呼ばれる平安期の様式の模古作とみられ、舞楽の際に使用されたと考えられている。 舞楽太刀 五阿弥派 参考文献 舞楽太刀 毛抜形太刀は、柄に毛抜形の透かしが施されることに由来する。平安中期頃に登場した太刀の一様式であり、日本刀の原型と考えられている。柄(鉄製)と刀身とが接合され、一体となるよう作られている(共鉄造り)。 吉備津神社には「備州尾道五阿弥長行」の銘をもつ2口と、「正光」銘の2口、計4口の毛抜形太刀がある。いずれも平安期の毛抜形太刀の模古作と伝わる。『福山志料』巻…
備後一宮吉備津宮の門前町。吉備津宮は12世紀には史料にみえ、中世を通じて備後国内で広く信仰を集めた。江戸初期の境内図には、門前に町場が形成され、大工や鍛冶などの職人が住んでいたことが描かれている。 備後一宮吉備津宮 古図に描かれた町屋 参考文献 備後一宮吉備津宮 吉備津宮の文献上の初見は鳥羽院政期の久安四年(1148)二月で、京都祇園社の法華八講会の料所として備後国吉備津宮を寄付したことがみえる(「八坂神社記録」)。 永万元年(1165)六月付の「神祇官年貢進納諸写注文写」によると、備後国では吉備津宮のみが神祇官への年貢進上を命じられている(「宮内庁書陵部蔵永万文書」)。同注文写にみえる諸社は…
所用で岡山市に来ていたので、空いた吉備津神社にお参りしてきた。 岡山駅から桃太郎線に乗り吉備津駅へ行く。本数は1時間に1~2本程度で乗車時間は15分程度。吉備津駅から吉備津神社までは徒歩10分といったところ。 この日は大変な暑さで最高気温36度くらいであった。汗だくだくとなりながら神社への道を歩く。 吉備津神社は、いつごろ誰によって造営されたのかについては文献もなく確かなことは不明とのこと。ミステリアスさに古の浪漫を感じる。