よしだ・いそや(1894ー1974)建築家。東京生まれ。
東京美術学校卒後、欧米に留学。 建築事務所を開いて、数奇屋造の近代化に専念、直線を生かした単純な構成を特色とする<現代数奇屋>と呼ばれる様式を創出。
作品に、吉屋信子邸、梅原龍三郎邸およびアトリエ等の住宅建築のほか、新喜楽などの料亭がある。
1964年文化勲章。
山梨県にある清春芸術村へ行ってきました。清春芸術村とは、清春小学校の廃校跡地に建てられてた文化複合施設です。 緑豊かな敷地内には、谷口吉生氏、安藤忠雄氏、藤森照信氏、吉田五十八氏など、日本を代表する名だたる建築家が設計した建築物が、建ち並んでいます。入場料は、1,500円。ネット上のクチコミを読むと、高い!という意見が見受けられますが、建築を見るのが好きな人にとっては、安すぎる入場料と感じることでしょう。どの建築物も素晴らしく、心動かされる至福の空間です。 まずは、藤森照信さん設計の茶室「徹」。 有名なツリーハウスのような茶室。写真を見たことがある人は多いかと思いますが、どこにあるかは、あまり…
吉田五十八さん設計の東山旧岸邸の思ひ出を小出しに書いています。 他に見学者がいなかったこともあって、あれこれ質問しまくる私に、案内の方が熱心に説明してくださいました。 この建物への愛情をひしひしと感じました。 和室ゾーンに入る襖のところ。 テンションのあがってきた案内の方が、養生で敷いてあったカーペットをおもむろにめくりあげたそこに、それはありました。 写真ではわかりにくいかもしれませんが、襖の敷居です。 敷居といっても床材に細い溝が切ってあるだけです。 床材の連続性を損なわないためですね。 さらに、 写真の2の部分が本来の敷居部分ですが。1,3,4,5と等間隔に床材にわざわざ同様の溝を切って…
御殿場にある吉田五十八さん設計の東山旧岸邸。 リビングテーブルの天板は鏡のよう。 庭の緑を映し出すように計算して天板を選び、配置したそうです。 逆さ富士のように庭が美しく映し出されます。 紅葉の季節にまた訪れたいと思います。 家の中に素敵な場所があるのって良いですね。 季節や時間帯によって突然現れるマジックアワー。 そんな時間を家の中で体験できるような設計をしたいと思います。 自分の家には計算して、あるいは図らずも生まれたそんなスポットがいくつかあって、日々楽しんでいます。
同じ県内なのに行ったことのなかった、東山旧岸邸(静岡県御殿場市)に先日行ってきました。 吉田五十八(いそや)さん、晩年の集大成です。 東山旧岸邸は、首相を務めた岸信介の自邸として1969年に建てられ、現在は登録有形文化財に指定されています。伝統的な数寄屋建築の美と、現代的な住まいとしての機能の両立を目指したこの邸宅は建築家・吉田五十八の晩年の作品であり、氏の建築美学の到達点のひとつといえます。 東山旧岸邸 パンフレットより まず、何より敷地が素晴らしいです。 門からただならぬ雰囲気が漂っています。 建築の半分は、その敷地を含めた環境だなとあらためて思います。 いや、もしかしたら8割くらい環境か…
今回は、世田谷区の等々力渓谷沿いに、付近の寺社、古墳を散策して参りました。東急大井町線の等々力駅から北と南の方向に目的地が点在しています。 南に行くと等々力渓谷があり、多摩川水系である谷沢川に、東京23区唯一の渓谷があります。渓谷には30カ所以上の湧水が発生し、湿地を形成しており、渓谷の付近に古墳、寺院があります。 最初に、等々力駅を渓谷と反対の北側に行きました。 北東に数分の所に、真言宗智山派の寺院である「満願寺」があります。開創は平安時代末と伝え、中興は室町時代です。吉良氏の居城であった兎々呂城の一角(現在地)に祈願寺として移築されました。 満願寺の山号は、「致航山」、院号は「感應院」です…
知人のIさんが「あんた、こんな本、好きやろ」と持参してくれたので佐伯泰英の本は読んだことないけど、断れずに預かりました。Iさんはモーレツな佐伯泰英ファンで、今までに購入、読破した作品が170冊というから、もう著書はほとんど読んでるといってもいい。新刊が出ると内容は問わず、買わずにおれないのはもはやビョーキではありませんか。 開けてみれば時代小説ではなくて(ホッ)著者はじめてのエッセイで、惜櫟莊(せきれきそう)という熱海の別荘を買い取り、修復、保存するいきさつと工事内容を綴った読み物なので、楽しく、一気に読破したのであります。(櫟=くぬぎ) 著者は仕事場として熱海の別荘地に居を構えているが、その…
新潟県上越市。高田城の敷地内に、小林古径記念美術館があります2年前にお邪魔した時、小林古径の自宅と、アトリエがあってその建物がとても気にいり、時間の許す限り、玄関だったり画室でゆっくりさせてもらったことがありました 設計は、吉田五十八という、後で知るのですが、いい仕事をした建築家でした。その吉田にもすごく興味をもったのが解説に、小林は吉田に「自分の気にいる家を作ってくれ」と依頼し吉田は、小林の作品、これまでのいろいろを調べて、小林のおそらくは生き方がそのままでるような、家を作ったのではないか?そんなふうに想像し、小林は出来上がった家をいたく気にいったというエピソードがありました 小林古径の自宅…
長谷の鎌倉市吉屋信子記念館(旧吉屋信子邸)が秋の一般公開中なので、近くへ行くついでに見に行った。吉田五十八設計、1962年竣工(ただし既存の建物を部分的に利用したもので、新築ではないらしい)。吉屋信子読んだことないけど。 pic.twitter.com/lPix3CqDnY — OKA Mamiko_ಓಕಾಮಾಮಿಕೋ (@gang_m) 2024年10月3日 幾何学的でシンプルモダンなデザインが思いのほかよかった。四枚構造になった寝室と書斎の窓、収納やキッチンなど、触ってはいけないところや非公開のところも見せていただけた。収納や窓から見える景色などもよく考えられており、家具もほとんどが一緒に…
2024/09/28 朝五時起床 車中泊は私一人で虫の声を聞きながら静かな時間を過ごせました 昨日ここで買ったお菓子で朝食です 準備をして出発 牧歴史民俗資料館へ 拝観料は200円です 一階が歴史、二階が民俗、産業の展示です 主に古墳時代の展示が多いです 中が見えないと思っていたら ボタンを押したら、手前部分が下にさがって中が見えました 新潟は小規模ながら油田があるそうで こんなワイルドな人力ボーリングで掘っていたそうです 博物館前にある 宮口古墳も見学 ここに20くらいの古墳があるそうです 近くの岩の原ぶどう園も見学 ワイン樽を保存する蔵は見学できます 歴史を感じます 中はひんやり、昔は雪を…
御殿場といえば、アウトレット、最近だと「えびせんべいの里」と「とらや工房」が有名でしょうか(あと「さわやか」とか、一応「鈴廣」もありますが。。。)。えびせんべいの里は、前に刈谷のハイウェイオアシスにも何回か行ったし、あと音羽蒲郡インター近くの「えびせんべいとちくわの共和国」にも?今調べたら別のお店のようでした(試食し放題で無駄に買い物をしてしまう仕組みは似てる)。ほか、えびせんべいの里は愛知に何か所かありましたね。「とらや工房」もあの虎屋とは別会社、系列店なのは間違いないようですが、そういえば暖簾がなかった?別にある「とらや 御殿場店」や「秩父宮記念公園のとらや」にはちゃんと暖簾がありました。…
こんばんは。 今日は思いがけなく吉屋信子記念館の中を見る事ができました。 立派な塀に囲まれて、いつもは全く中が見えません。 期間限定の一般公開日は土曜日の事が多いので、ずっとその機会はありませんでした。 今日の昼食は昨日のサンラータン麺をもう一度食べたいとリクエストがあったので、喜んで作ったのですが、作り過ぎてしまいお腹がいっぱいになってしまいました。 そこでウォーキング方々、家にいた中3と小1の男子と一緒に、明日作る予定の柏餅のこし餡を買いに長谷の山屋製餡所に行きました。 途中、いつも静かな細道が賑わっていたので、見ると門が開いていて一般公開日と書いてあったのです! 二人の男子はきっと行きた…
世田谷区中町から等々力あたりを歩いた2020年1月9日のこと…… 等々力玉川神社を後にしてすぐの場所に発見!! 左は東急大井町線を越える目黒通りの高架で何十回も通ったが、当然車からでは見えなかった。歩く者の特権ということだ。 小さな祠は庚申塔……当時はさほど興味があったわけではなかったが、それでも見つけると嬉しかった。そうそう、ちゃんと浄財入れてきた。 脇の碑には『何れの地に有ったのか、荒廃するのを見て明治10年(1877年)4月、高橋家の人々が現在地の東隣に移した。昭和の初頭に再度満願寺境内のこの一偶(隅?)に移し、堂宇の結構を新たにす。』といった内容が書かれていた。庚申塔台座に刻まれた文字…
東京での打ち合わせ前に少し時間があったので、吉田五十八の猪俣邸を駆け足で見学。 書斎のすぐ裏に小間の茶室があるという茶人憧れの間取り。 水屋の竹釘、トキン型は藪内流と聞くが、茶室は裏千家今日庵写し。 和室十畳の床脇地板は漆布張り。 床框のルーバーは空調の吸い込み。 四畳半茶室の水屋、脇に銅板の立水屋。 千切りが施された蹲踞。
19℃ 曇時々雨 6時半に起きて東海のGへ。1年近くぶりにYに会いに行く18切符の鈍行日帰り旅行である。てっきり晴れると思い込んで楽しみにしていた長閑な散歩が、予想を裏切られ雨に降られどことなく肌寒く、一日中パッとしない天気であった。電車遅延と読みの甘さにより到着が1時間遅れそうになるが、Yが機転を利かせて山北駅まで迎えに来てくれたおかげでさほどのロスをせずに済んだ。出会い頭に、変わらず大学の課題に取り組んでいるのかと聞かれて苦笑した。Yにとっての自分は、絵描きである以前に社会人学生(それも大学・大学院を出て再度大学に入り直す筋金入りの勉強好き)なのだ。おそらく自分の専門ですらまともに把握され…
こんばんは! 都内在住アラフィフ主婦のnicoです。 ひとり時間を楽しんでいます。 前回に引き続き、 【大阪・奈良】 夫婦ふたり旅です。 hitorijikan-nico2.hatenablog.com さて、 「法隆寺」東院の鐘楼と伝法院を 右手に見ながら更に北東へ進みました。 hitorijikan-nico2.hatenablog.com すると、 飛鳥時代から続く 現存する日本最古の尼寺で 大和三門跡 (法華寺、円照寺、中宮寺)の一つ、 『中宮寺』があります。 nico's memo: ●門跡寺院:皇族や公家が住職を務めたお寺のこと。元々「門跡」という言葉は、日本の仏教における正式な後…
隈研吾。いまさら説明は不要であろう。「和の大家」(本人は強く否定)が論考する日本建築の伝統。注目する建築家として挙げたのが、藤井厚二、堀口捨己、吉田五十八、村野藤吾、レーモンド、ぺリアンの6名。特に「小さな建築」を標榜し、「増改築の達人」とも称される村野藤吾を熱く論じている。西欧的な時間概念に対する辛辣な批判者として再発見されるべき存在。普段は明かされることのない多忙な建築家の思考回路が読み取れて興味深い。アルヴァ・アアルトも「小さな建築」の大家として少しだけ触れられている。
清春芸術村 西には南アルプス、北には八ヶ岳が迫り、富士山も遠望できる、山梨県西北部の北杜市長坂町に清春(きよはる)芸術村という芸術文化複合施設がある。清春白樺美術館、安藤忠雄の光の美術館や、アトリエ、茶室、図書館などの施設からなる。 アトリエ「ラ・リューシュ」とオシップ・ザッキンの『メッセンジャー』 清春芸術村および清春白樺美術館は、武者小路実篤や志賀直哉をはじめとする白樺派同人による美術館構想を、親交のあった吉井長三(1930-2016)が私財を投じて実現し吉井仁実が拡充している。吉井が1977年に小林秀雄、今日出海、白洲正子、東山魁夷夫妻、谷口吉郎らとこの地に花見に訪れ、桜の美しさに魅せら…
隈研吾は好きではない。その作品は、無理に木材などを使用しているような感じがするし、彼自身にも権威主義的な臭いを感じる。それで、本書もそうした偏見を持って読み始めた。 「日本の建築」というタイトルだが、対象とするのは明治以降の日本建築。タウトが発見したと言われる桂離宮から、それに先んじた伊東忠太の反逆など、西欧建築を中心に始まった建築教育から日本的な建築が見直され、また模索されていった状況を、建築家の眼を通して論じていく。 タウトの次はフランク・ロイド・ライトを経て、藤井厚二と堀口捨巳を、早過ぎた「折衷」建築家として高く評価する。ここで、隈は6人の「折衷」建築家の名前を挙げる。藤井、堀口の二人の…
12月6日(水)山口蓬春記念館にて、令和5年度 山口蓬春記念館 初冬企画展「山口蓬春と吉田五十八」展鑑賞。 山口蓬春記念館の主屋と画室は、令和5年2月27日、国登録有形文化財に登録されました。山口蓬春(1893~1971)が昭和23年から亡くなるまでの約23年間を過ごした旧宅です。 「画室」 「主屋」 別館2階。 気持ち良くお庭を散策すると、心安らぎます。
特徴的な尖塔は解体され穴場な富士山展望広場へ 清水区迎山町、西南戦争から太平洋戦争期の戦没者と戦災殉難者を祀る、1959年に建立された【忠霊塔】を中心に整備された公園。 でしたが、2018年より老朽化による倒壊の危険により塔は封鎖。2021年8月より解体、その後再整備され、かつての階段上に石碑などが並ぶ展望広場ができました。 旧階段下は引き続き市民が利用できるグラウンドに。展望広場は北側の急な坂を上った先とやや穴場な立地ですが、富士山と清水の町並みを綺麗に見渡せます! 清水忠霊塔公園 グラウンド奥の小高い丘 かつての忠霊塔 富士山展望広場へ 坂の先に駐車場あり 忠霊塔跡地が広場に 富士山の見晴…