第1章と第2章の、吉良家と徳川家の100年にわたる確執は、最大の読みどころ。こんなことを言ったひとは他にいない。 徳川は吉良が目障りだったので、事件発生後、当時、川向う(隅田川)の「僻地」の両国に吉良邸を移転させて、半蔵門でかくまっていた(見て見ぬふり)、四十七士に討ち入りさせたという「怪説」。おそらく、著者のいう通りだろう。 愛知県矢作川の考察は凄い。長年、技術官僚としてダム造設に関わってきた竹村氏の考察が冴える冴える。素人であれば、地図をみてもチンプンカンプンだが、竹村氏は違う。 吉良領地の直上流部が岡崎の徳川領地であった。徳川領地と吉良領地は、矢作川で隣接する上流と下流の関係にあったのだ…