吉野の盟約

吉野の盟約

(一般)
よしののめいやく

吉野の盟約とは天武天皇と皇后の鸕野讚良皇女がその間にもうけた草壁皇子を次期天皇であると宣言した盟約。「吉野の誓い」とも言われる。
679年(白鳳8年)(=天武8年)5月5日に天武天皇は吉野へ行幸。その場で皇后と有力皇族6人(草壁皇子、大津皇子、高市皇子、忍壁皇子、川島皇子、芝基皇子)に草壁皇子を次期天皇とし、皇后=鸕野讚良皇女を含めて7人がお互い助けて相争わない事を誓わせた。
ちなみに、この7人のうち(草壁皇子、大津皇子、高市皇子、忍壁皇子)は天武天皇の子で(川島皇子、芝基皇子、皇后=鸕野讚良皇女)は天武の兄の天智天皇の子で、さらにそのうちの草壁皇子はこの7人の盟約者同士の皇后=鸕野讚良皇女の実子で、大津皇子はこの皇后=鸕野讚良皇女の異腹姉<この時既に死去>の実子である。

※「吉野盟約」での継承順位〉
順位 皇子 父 母 (その父) 年齢順
1 草壁皇子 天武天皇 鸕野皇女(天智天皇) 3
2 大津皇子 天武天皇 大田皇女(天智天皇) 4
3 高市皇子 天武天皇 尼子娘 (胸形君) 1
4 河嶋皇子 天智天皇 色夫古娘(忍海造) 2
5 忍壁皇子 天武天皇 カジ媛 (宍人臣) 5
6 芝基皇子 天智天皇 伊羅都売(越道君) 6

このうち大津皇子は、天武天皇崩御直後に謀反の疑いをかけられて非業の最期を遂げたが、草壁皇子もまもなく夭折し、前の皇后で天武天皇崩御後称制(監国)をしていた鸕野讚良皇女が高市皇子ら他の有力跡継ぎ候補を無視して自ら正式に持統天皇として即位する結果となった。

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