あちこちの文献に、殿の言動の記載が少しずつあったりします もっとも、当時10代の益田孝とひぃずちゃん、髪結の青木を除くと、恐れ多いのか、殿の言動を引いたものは見受けられない 日本に帰国したのちの建白書も、池田長発の他、河津及び河田との3人の合作であり、もちろん池田長発の考えは反映されているのでしょうが、直筆部分は不明 この条約の署名と花押は、間違いなく本物 (「世界ふしぎ発見」からの引用) たぶん、このお墓の文字も生前の池田長発のものでは (ツイッター投稿からの引用) 超優秀な人にありがちな、スピード重視、正確性重視、読めるということが大事なのだから楷書が一番・・・そんな合理主義的な香りです …