名古屋山三郎(なごや・さんざぶろう、生年不詳〜没年不詳)
出雲阿国とともに歌舞伎役者の祖に擬されている安土桃山時代の武士。加賀藩士因幡守敦順と織田信長の姪の養雲院の子。10代のころ蒲生氏郷の小姓として奥州攻めに従い一番槍の手柄を立てて,流行の小唄に歌われた。氏郷没後浪人となり,その後妹の縁で仕官した美作で,同僚と刃傷事件を起こして死んだ。当時流行したかぶき者の典型で,阿国がかぶき者の姿をして舞台に立った時期が山三郎の没したころに当たり,そこから両者が結びついて,阿国の夫,愛人などという逸話が,後世生まれたようである。しかし史料的にはまったく確認できず,山三郎と歌舞伎成立の結び付きは伝説上のことであろう。