むこうだ・くにこ(1929-1981) 脚本家、小説家、随筆家。放送作家、シナリオライター。作家集団「葉村彰子」の一員でもある。
1929年(昭和4年)11月28日、東京府荏原郡世田谷町(現・世田谷区)生まれ。東京出身。保険会社に勤める父の転勤により日本各地を転々とする。特に10歳から2年余り一家で移り住んだ鹿児島をのちに当時の生活を振り返って「第二の故郷」と呼んだほど深く愛した。実践女子専門学校(現・実践女子大)国語科卒。1981年(昭和56年)8月22日、旅行先の台湾での航空機事故*1で急逝。享年51歳。
映画雑誌の編集者を経てラジオ、テレビの台本・脚本を数多く書き、昭和30年代終わりから50年代にかけてテレビドラマの高視聴率作家の座を維持。ラジオエッセイで「森繁の重役読本」、「向田ドラマ」の代表作として、「七人の孫」(昭和39年)、「だいこんの花」(昭和45年)、「寺内貫太郎一家」(昭和49年)、「阿修羅のごとく」(昭和54年)、「あ・うん」(昭和55年)、「隣りの女」(昭和56年)など。
1975年(昭和50年)、46歳のときに乳癌で手術を受ける。それをきっかけに随筆やエッセイをかき始め、故・山本夏彦は週刊文春の彼女の連載を読んで「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」と絶賛した(山本夏彦『恋に似たもの』所収、向田邦子『父の詫び状』の沢木耕太郎による解説にもその言葉が紹介されている)。その後小説の執筆も始めて直木賞を受賞、さらなる活躍を期待されたその矢先での急逝だった。
小説新潮に連載された短篇小説集 『思い出トランプ』に収められた「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で1980年(昭和55年)第83回直木賞を受賞。エッセイ集に『父の詫び状』(1978年)『夜中の薔薇』、長編『あ・うん』(1982年)、作品集『隣の女』(1982年)など。鋭敏で独特の感性と深い人間洞察、鋭い切れ味の文章や巧みな台詞を端正な日本語でつづった随筆や小説、シナリオ集は今なお人々に愛されている。
*1:台北発高雄行き遠東航空ボーイング737型機が台北空港を離陸したのち空中分解、台北南西の山中に墜落。乗員乗客110名全員(うち日本人は18名)が死亡。