神は言葉の能記等ではで完全に把握することはできないとして 言葉の「否定の無限退行と無限の相対化」によって、唯一神の唯一さを論じた神学、教理。 11〜12世紀頃、レゴリオス・パラマスらによって論じられたが、その後、ギリシャ正教会では2大教義の一つと認定された。 副次的に、現代の言語哲学、分析哲学における基本概念「シニフィアン/シニフィエ」の原型を成した。
神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう 人間の認識能力の限界と扱わざるを得ない問題 【カント『純粋理性批判』】 神という大問題 【リーゼンフーバー『中世思想史』】 認識不可能な神への認識方法 〜神は何者でないことによって、神を知る=否定神学 神は認識出来ないが故に闇となる 【中世思想原典集成】 理性の限界と哲学の問題 前回のお話 神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう 中世思想史 (平凡社ライブラリー) 作者:クラウス・リーゼンフーバー 発売日: 2003/12/10 メディア: 新書 人間の認識能力の限界と扱わざるを…
『俺ガイル』9巻で「本物が欲しい」と告白する比企谷八幡。 「本物」とは何なのだろうか。 『俺ガイル』に触れてきたことがある人をいくらか悩ませてきた「本物」。 これまで俺ガイル研究会の人たちと議論を重ねてきた結果、「本物」とは否定神学的である! と暫定的にいうことは可能だろう。そう、暫定的でしかないというべきか。 なんというか、「本物」が否定神学的概念なのだと思っていたけれど、というより、八幡が否定神学的人間、ひいては「否定性」そのものなのだということがわかってきた — 才華@俺ガイル C101土曜日東地区ペ11b (@zaikakotoregail) August 28, 2022 「本物」と…
* 訂正する力(2023年) 訂正する力 (朝日新書) 作者:東 浩紀 朝日新聞出版 Amazon ⑴「訂正可能性」から読み解く東思想 昨年、批評家デビュー30周年を迎えた東浩紀氏は1993年にかつての「ニューアカデミズム」を牽引した柄谷行人氏と浅田彰氏が編集委員を務める『批評空間』からデビューし、1998年にはフランス現代思想におけるポスト構造主義を代表する思想家であるジャック・デリダを斬新な観点から読み直した初の単著『存在論的、郵便的』が浅田氏の激賞とともに世に送り出され、現代思想シーンにおける気鋭の論客として一躍、斯界の脚光を浴びることになりました。 ところがゼロ年代における東氏の仕事は…
小説は、深刻なものを深刻一色に、悲しいものを悲しい一色に書くのは簡単だけど、それでは書いている本人がつまらなくて、そんな書き方をしていたらバカになっていくような気がしてくる。どうしてそういう風に思うのかの説明を自分でもつけられないが、とにかく小説家はあの手この手を使って、小説が一色に染まらないようにする。小説は書体や文字の大きさを変えずに紙にべったりと印刷される表現形式だから、そこには本筋と脇道、大事なこととどうでもいいことという区別はない。 (保坂和志『小説の誕生』 p.94) 8時15分起床。台湾で地震発生の報道。マグニチュード7。震度6強。かなり大きい。外はきのうにひきつづき雨降り。気温…
なぞなぞ:あればあるで困るし、なきゃないで困るもの、な~んだ? 私の場合、自分(自我)を捨てるということ、自我の磔殺(たくさつ)ということは、下の引用文のように主イエスの命令だから、その命令に従わないと救われないから…といった律法主義的なことではなく(0-100思考・白黒思考、脅迫・強迫的ストレス)、自我を捨てないことには現実の自分(自己)の苦しみが続くからです。つまり最もラクになる方法が自我を殺すこと、自我を滅することなのです。主イエスへの熱情的信仰が動機ではなく、自分自身が精神的にラクになりたいということが主たる動機なのです。私はこの本心を誤魔化すことはできません。その本心を隠して敬虔を装…
著者:千葉雅也 講談社2022 [目次] はじめに 何故いま現代思想か 第一章 デリダ――概念の脱構築 第二章 ドゥルーズ――存在の脱構築 第三章 フーコー――社会の脱構築 ここまでのまとめ 第四章 現代思想の源流――ニーチェ、フロイト、マルクス 第五章 精神分析と現代思想――ラカン、ルジャンドル 第六章 現代思想のつくり方 第七章 ポスト・ポスト構造主義 付録 現代思想の読み方[内容・感想] 本書の内容から、現代はポスト構造主義、ポストモダン(近代)の時代。相対主義。なんでもありの世界になってしまう。 しかし、現代思想には相対主義的な面がある。脱構築という概念は、本当の意味ではそうではない。…
以前、このブログでも紹介したことがある、石川求『カントと無限判断』であるが、 伊野連『カント哲学における影響関係』カント哲学における影響関係 ―形式論理学、観念論から量子力学、AI まで―作者:伊野 連三恵社Amazon の「第I部 無限判断論」を読んだら、石川の本における「無限判断」論について、研究をされていて、私も改めて、石川のこの本を読んでみた。 おそらく、石川のこの本はこの問題を研究する上では、必要十分な記述なのだろうと思うが、哲学研究者独特の晦渋な文章となっていて、「この」問題の背景にある思想的な相互関係は分かったから、つまりはようするにどういうことなんだ、というのが、通読しても、ぴ…
2024年3月の平凡社ライブラリーは次の2点です。 ★962:クラウス・リーゼンフーバー『中世哲学の射程 ラテン教父からフィチーノまで』(村井則夫編訳、平凡社、2024/03/05) 『中世哲学の源流』(創文社、1995)、『中世における理性と霊性』(知泉書館、2008)に収録された論考を中心として、単行本未収録の論考1篇を加えた本。 序にかえて 第1部 中世思想の構造 第1章 ラテン教父の思考様式と系譜 第2章 ラテン中世における教父神学の遺産 第3章 被造物としての自然ーー教父時代および中世における創造論 第4章 中世における自己認識の展開ーー近代思想いそうの歴史的源泉をめぐって 第2部 …
ベルリンの壁が壊れたときも、とシュテファンがいった。 「ぼくはタクシーの運転手。夜、一人のお客さんを乗せて、東に入りました、東は入ったこともなくて。お客さんもぼくも。それで迷いました。明け方になってやっと見つかりました。その通りは、入っていった壁のそばでした。一日中ずっと嬉しかったので、お金はいらないといいました」 『鳥を探しに』平出隆 ・ 私の、誕生日、らしい。 オランダのように誕生日の人が周りにプレゼントを贈って祝した方がいい。 ・ 夜の温泉清掃のバイトを二つ掛け持ちしているのだけど、管理者が別々で、一つは管理が曖昧、もう一つは管理が細かすぎる。でも質としてはもちろん後者の方が良くて、マネ…
文章は、なにかないものとして描き出すことで、それを記述することができないところを言葉で占めることで、陽否陰述に自己言及的なねじれを生じさせるが、このねじれは、なにかを記述する私たちの能力をどれほどまでに言葉が駄目にしているかということへの不平不満に由来する。この否定的描写は、アンビエンス詩学ではとりわけ重要である。アンビエンスは背景を背景として喚起するので——背景を前景へと引き出すならば、それを解体することになるだろう——それは遠回しで斜交いの修辞戦術を頼りにせねばならない。否定的なエコロジーが、否定神学のように自然をより適切に記述すると考える学派が存在する。私は、否定神学はいまだに形而上学に…
ひとつの時間の中にあって幾億も重なる昼と夜 ーー小沢健二「ブルーの構図のブルース」 朝、行きのくだりの坂道から思う些事を帰りの電車で思い出して書き留めるまで、半日以上の時間が流れているはずなのだが、あたかもその半日以上の時間は身体から切り離されてしまったかのように意識から抜け落ちている。ゆっくりした時間がなければ考えごとは進まない。ごはんを食べてお風呂に入って歯を磨いて、あとはもう寝るだけというタイミングがよく考えがはかどるのだけれど、あるとき「集中している状態というのは忙しなくしているときではなくて、ぼーっとしているときなんだ」と説くひとがいて、こうして夜更けにまとまった「文」のかたちで想念…
システムの記入日を格納する変数が不全につき日記ごとに日時の仕切りがない。上1月-下2月初旬の流れ 転職先のオフィス、スケールが壮大すぎて別世界だった いつか慣れるのだろうか。 ラカン(ラカンとルーマン)・メイヤスー(ラカンとメイヤスー)について一通りの理解が進んだので記録。体系的に自分の言葉で発話するにはもうしばらく時間はかかるだろうが、有意義な時間であった。 以下雑メモ ラカン 意識は次の意識の生成・維持に寄与し、一方で、無意識は無意識の生成・維持のほかに、意識の生成・維持にも寄与する。 無意識から意識への意味・表象の還元は、精神分析学的な深層心理を介した複雑なプロセス、条件の中で機能し、そ…
【拡散希望】本日、日本大学哲学会『精神科学』に投稿していた私の論文「「マイナス内包」としての性自認の構成 (Gender as Irifuji’s Minus-Intensions)」に、不採用の通知が届きました。来年出る『精神科学』に掲載されるよう今年春に書いたもので、トランスジェンダーを巡っても注目を集めている pic.twitter.com/EaJD44DVxv — 谷口一平 A.k.a.hani-an (@Taroupho) 2023年12月25日 独立研究者・谷口一平氏の日本大学哲学会『精神科学』への投稿論文がリジェクトされた。 そこで谷口氏は査読過程、及び匿名査読者2名の査読コメン…
赤仮面こと仮面女子センターの森下舞桜ちゃんの生誕祭が、12月31日に行われることになった。ブログ等で調べてみると、これまで2016年の14歳の生誕祭(OZ)2018年の16歳の生誕祭(スチームガールズ)←今となっては激レア2019年の17歳の生誕祭(アリス十番)に参加しているようだ。今回は2023年、21歳の生誕祭ということです。僕は2020年に東京を離れておりまして、またコロナ禍もあって上京どころじゃなくなって、実に4年ぶり・4回目の生誕参加。 東京を離れてからというもの、生誕祭までは行けると思っていなかったのですが、今回はまさかのカウントダウンライブと同日開催。これは運命に導かれていると言…
【アニメ編はこちら】 www.zaikakotoo.com マンガ 読み切り ジャンプ系 週刊少年ジャンプ ジャンプ+ その他 講談社系 週刊少年マガジン ヤングマガジン アフタヌーン なかよし その他 トーチweb コミックビーム スペリオール 成人向けコンテンツ さらにその他 ベスト 付き合ってあげてもいいかな 夏、ユートピアノ フラッシュポイント 雨がしないこと インターネットラヴ ふつつかな悪女ではございますが 違国日記 僕の好きな人が好きな人 難しいほうのサイトーくん 佐々田は友達 ピックアップ レ・セルバン 新本格魔法少女りすか スモークブルーの雨のち晴れ 総評 マンガ 総じて、今…
啓示がうるさくて預言者学の講義が聞こえない ブログを書き過ぎてブログ肘を患った。ブログを書くと激痛が走る。 思えば4年くらいブログを書いてる。何一つとして続いたもののない大学生活の中で、唯一続いていることかもしれない。じゃあ俺はブロガーだ。ブログが得意だからではなく、ブログしか残ってないから。 ところで、ブログ記事には2つの使命がある。人に読まれること、ないし人が読めるものであることと、ウェブ上に残ることだ。つまりブログはメディアでありアーカイブである。人が読めないブログはただのメモであり、残すことに頓着しないならSNSの投稿でいい。逆算的に、ブログとは共有と記録に値する情報が書かれる媒体であ…
『統計の歴史』(オリヴィエ・レイ)という本を読んでいて、昔から漫然と考えていたことがクリアになった気がするので、唐突に東浩紀について、確率論と統計学という観点から書いてみます。 東浩紀の『存在論的郵便的』という本の貢献の核心は、(意味の)決定不可能性という現代思想的テーマに対して、「意味は決定できない」という否定的な回答の形式を、「どのように読まれるかは決定できないが、しかし何らかの形でいつか誰かに届く」という肯定的な回答の形式に組み替えた、という点にあると理解しています。そのうえで、その肯定性を表現する具体的なイメージとして郵便の比喩を召喚し、「誤配」という使い勝手のいい概念を提示した。で、…