宝永5年7月27日。卯半(午前6時)から文左衛門は瀬左・八郎右と豊場へ漁に出かける。味鋺で弁当を食べ、文左衛門と加右衛門は網を打つ。加右衛門は鮒や鮠をたくさん捕る。瀬左は百姓紋七のところで休憩する。うどんを出し、鮠を汁にし、その他それぞれ弁当を開いた。八郎右と文左衛門で100文を婆に取らせた。惣庄屋善蔵がやって来たので酒を飲ませた。常安寺へ出かけ、帳を開けさせ、100文を供えた。中の釈迦よりも左右の阿難・迦葉は俗っぽくなく、目を驚かせた。夕暮れに帰る。100石の山城守代官中村藤右衛門・新野浅右衛門暇を出され、城下遠慮すべきと云々。中村藤右衛門・新野浅右衛門へ申し渡しの覚え。一 毎年検見に出かけ…