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唯物史観

(読書)
ゆいぶつしかん

materialistische Geschichtsauffassung(独)

マルクス主義の歴史観。哲学者としてのマルクスが開発した分析ツールである唯物論的弁証法を使って歴史(というか人間社会)を分析したものと言える。
簡単に言うと経済活動のあり方とその変化が歴史を発展・前進させる原動力である、とする考え方。史的唯物論とも*1

概略

「経済学批判」の序文に掲げられている次のような内容を持つ*2文章を、一般に史的唯物論の公式とする。

  • 個々の人間が社会と(経済的に)かかわる場合、個人的な意識とは関係なしに、いろんな関係を結ぶことになる。*3
  • その関係をトータルしたものが「社会の経済的機構*4」である。経済という「土台」の上に、法律や政治といった「上部構造」が作られている。同じく、(個人的なものでなく)社会的な意識も、この土台に対応している。*5
  • どう働いてどう収入を得ているのかということが、その人の社会的、政治的、精神的生活に大きな影響を与える。*6
  • つまり、どういう意識でいるのかということで社会的における位置付けが定まるのでなく、社会的な位置が人間の意識に決定的な影響を与えている。*7
  • 経済的な意味での生産力、「物質的生産諸力」が発展してくると、(いままでの取引関係とか雇用関係とか法律とかいった)「既存の生産諸関係」では対応できなくなる。*8
  • つまり、(本来は生産活動を手助けもしくは反映したものだったはずの)既存の生産諸関係が、時代に取り残されて生産活動を邪魔する存在になってしまう。*9
  • 「このとき社会革命の時期が始まるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる」

唯物史観の公式

(マルクス『経済学批判』の序文より *10 )

私が到達し、かつ、それ以降において、私の研究を導く原則になった一般的な結論は次のようにまとめられる。自分自身の生存を社会的に生産するために、人間は彼らの意思からは独立した、さだめられたさまざまな関係にはいらざるをえない。つまり、それは、さまざまな物質的な生産力の発達段階に対応しているさまざまな生産関係である。これらの生産関係の全体は社会の経済的な構造をなし、その上に法的・政治的な上部構造を生じさせ、社会的意識の特定のかたちが対応する現実的な土台である。物質的な生命を生産する様式は社会的・政治的・知的生活の一般的なみちすじを規制する。彼らのありかたを決定するのは意識ではなく、彼らの意識を決定するのは彼らの社会的なありかたなのだ。一定の発展段階において、社会の物質的なさまざまな生産力は、いままでそれがそれらの枠組のなかで動いていた、すでにあるさまざまな生産関係、あるいは−法律的ないいかたでの同じことの表現だが-− さまざまな所有関係と衝突する。さまざまな生産力の発展に対して、これらもろもろの関係は足枷に転じる。社会的な革命の時期がはじまる。経済的な土台の変化は、はやかれおそかれ、巨大な上部構造全体の転換を導く。このような転換を研究するとき、自然科学の正確さをもって決定されうる生産の経済的状態の物質的な転換と、そこで人間がこの衝突を意識し、それに立ち向かう、法の、政治の、宗教の、芸術的の、哲学の、−ちぢめていえば、イデオロギーのさまざまなかたちを区別しなければならない。ある個人が自分自身を考えるようなものとして判断できないのとおなじように、このような転換期をその意識によって判断することはできず、反対に、意識は物質的な生命の葛藤から、社会のさまざまな生産力とさまざまな生産関係の間にある衝突から説明されるべきである。どんな社会の秩序もすべての生産力が十分に発達するまえに破壊されることはなく、新しいすぐれた生産関係も古い社会の枠組のなかで生存ための物質的状態が熟するまでは古いものとおきかわることはない。人類はこのように解決できる仕事のみ自分に課さざるをえない。なぜなら、よりくわしい検討によって、解決のための物質的なもろもろの条件がすでにととのっているか、すくなくとも、かたちづくられつつあるときにのみ、問題それ自身がうかびあがることが常にしめされるからだ。大枠として、アジア的生産様式、古代生産様式、封建制生産様式、近代ブルジョア生産様式が社会の経済的な発展を区分する時代をしめす。生産のブルジョア的な様式は社会の生産過程の最後の対立的なかたちであけれども−対立的というのは個人が対立しているという意味ではなく、さまざまな個人の生存のための社会的な条件から発せられる対立の意味である−ブルジョア社会のなかで発展するさまざまな生産力もまた、この対立を解決する条件をつくりだしている。したがって、人間社会の前史はこの社会のかたちで幕を閉じる。

*1:対義語は「史的観念論」で、こちらは観念(理念)が歴史発展の原動力であるとする

*2:原文は厳密を重んじて文章が重たいので、なるべく書き下したがやり過ぎかもしれません

*3:原文「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係を、とりむすぶ」

*4:言葉は難しいが、「経済」を辞書で引くと「人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、並びにそれを通じて形成される人と人との社会関係の総体(広辞苑)」と出ているので、つまりはその意味での「経済」の定義を説明しているだけである。以下の「経済」もその意味である

*5:原文「この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形作っており、これが現実の土台となって、その上に、法律的、政治的上部構造がそびえ立ち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している」

*6:原文「物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。」

*7:原文「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである」

*8:原文「社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階に達すると、いままでそれがそのなかで働いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現に過ぎない所有諸関係と矛盾するようになる」

*9:原文「これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する」

*10:英語からの重訳

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