カンヒザクラ 新・木曜「カルチャー・考える」【北の文化】 啄木と釧路の女 小林芳弘(国際啄木学会会員) 親密さ、たたかれた芸者たち 上司と衝突して暴力を振るわれ、小樽日報を辞めた石川啄木は妻子を残したまま、明治41(1908)年1月21日から76日間、釧路に滞在した。この間、釧路新聞(後の北海道新聞)の編集長格として活躍、読者投稿の「釧路詩壇」を設け、政治評論のコラム「雲間寸観」に健筆をふるった。花柳界に出入りして「紅筆(べにふで)便り」という艶(つや)だね記事も書いた。 啄木が親密になった芸者は3人いた。1人目は釧路で最も評判の高かった喜望楼の抱え芸者小静で、寝物語で聞いた長い身の上話を啄木…