嘉納治五郎(1860年12月9日 - 1938年5月4日)は、日本の柔道家、教育者である。 摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)出身。 東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。 講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。「柔道の父」と呼ばれる。 生前の功績に対して、死後、勲一等旭日大綬章を受章した。
明治三十一年五月十五日 日本女子大學校創立事務第一回報告 日本女子大學校創立事務第一回報告一 創業の發端 一昨二十九年成瀨仁藏氏初て公に日本女子大學校設立の必要を唱道し伊藤侯西園寺侯大隈伯北畠男内海忠勝氏土倉庄三郎氏廣岡信五郎氏夫人其他朝野知名の士に謀り大に賛成する所となる爾來諸氏の熱心なる盡力に依り天下同志の士續々起て盛んに賛意を表せらるヽに至れり一 第一回發起人會一 第一回披露會一 創立委員會 同年〔明治三十年〕五月上旬大隈伯外務大臣官邸にて開會す出席者は近衛公大隈伯岩崎男兒島氏澁澤氏土倉氏廣岡氏成瀨氏の各委員及松方伯蜂須賀侯とす近衛公は公私の職務多端なれば委員としては飽迄盡力すべきも委員…
日本で生まれ、世界に広がったスポーツの1つに柔道があります。その柔道の創始者・嘉納治五郎が柔道の道場を開いたのが6月5日です。 (柔道の父、嘉納治五郎) 講道館柔道を開いた嘉納治五郎は、日本にあった柔術に、スポーツの要素を取り入れ、新たに柔道を創設した、柔道の父です。 嘉納治五郎は、古くから伝わる日本の柔術を学んでいました。1882年(明治15年)6月5日、23歳の時、東京の下谷北稲荷町、現在の東京都台東区東上野にある永昌寺と言うお寺の一部に道場を設立しました。治五郎は「道」が根本、「術」は応用であるとし、その「道」を講ずる場として「講道館」と命名しました。お寺の12畳の居間と7畳の書院を道場…
この前、たまたま夢枕獏公式サイトを訪問して知ったんだっけ。夢枕氏もそのひとりである「がんと闘病しながら仕事するクリエイター」記事を書く関係だった。 m-dojo.hatenadiary.com しかし、それどころじゃない話だったわけよ、「東天の獅子」コミカライズちゅうのは。 www.yumemakurabaku.com そして本日気づいた情報 ・電子雑誌サブスク「楽天マガジン」は週刊大衆も入ってる ・けっこうバックナンバーを長く閲覧可能 ・結論として、おれは初回(週刊大衆2025年2月3日号)から遡って読めた ・第一話は「武田惣角vs西郷四郎」から始まる。 東天の獅子東天の獅子東天の獅子 ・・…
石黒敬七『柔道世界武者修行記』ベースボール・マガジン社を読了。 講道館初期の柔道家にして軽妙なエッセイを数多く発表してきた著者が紹介する、初期の講道館に関するエピソードのあれこれの詰まった1冊。姿三四郎のモデルとなった西郷四郎に関するエピソードとか、ブラジリアン柔術のルーツとなったコンデ・コマこと前田光世に関するエピソードなどがぎっしりと詰まっていて、なかなか楽しかった。著者が柔道普及のために海外に行った際のエピソードでは、意外にも藤田嗣治が繰り返し登場してくる。ぜんぜん知らなかったのだけれど、藤田嗣治、柔道二段だったのですね。 また、富田常治郎の話も出てきたりするのだけれど、もちろん富田常治…
ちょっと空を見上げるだけで すこし耳を傾けるだけで気づく 豊かな世界「野鳥の世界」 それに気づいて生きるのと 気づかないで生きるのとでは まるで豊かさの違う 人生になりそうです パワースポット巡りをしていると、よく野鳥を見かけます。最初はおまけとして撮っていましたが、思い入れが日増しに強くなっていき、ついにカテゴリーを設けることにしました。野鳥の生態はど素人、愛機はもうすぐにでも寿命が尽き果てそうなボロボロのデジカメ・・・。そんな低装備なわたくしですが、「かわいい野鳥を見たい」の一心だけで全国を探索していきます。実際の野鳥は、われわれ人間などには、はるかに及ばない過酷な一生をおくっているのです…
一条真也です。『増補版 日本レスリングの物語』柳澤健著(岩波現代文庫)を読みました。著者は1960年東京都生まれ。ノンフィクションライター。慶應義塾大学法学部卒業後、空調機メーカーを経て株式会社文藝春秋に入社。花田紀凱編集長体制の『週刊文春』や設楽敦生編集長体制の『スポーツ・グラフィック ナンバー』編集部などに在籍し、2003年に独立。著書に、ブログ『完本 1976年のアントニオ猪木』、ブログ『1964年のジャイアント馬場』、ブログ『1984年のUWF』、ブログ『1985年のクラッシュ・ギャルズ』、ブログ『2000年の桜庭和志』、ブログ『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』で紹介した一連のプロレス…
飯塚一陽『柔道を創った男たち』文藝春秋を読了。 サブタイトルは「嘉納治五郎と講道館の青春」。著者の父であり、講道館の初期メンバーのひとりでもある飯塚国三郎十段をメインに据えた、講道館の黎明期のあれこれを紹介した一冊。参考文献に父の遺した日記及び備忘録があり、それゆえ他の類書では描かれていないエピソードなどもあり、実に興味深い。ただし、あくまでも客観的な視点から「この資料によるとこういうことであったらしい」という描写が中心となっているために、いわゆる小説的な臨場感はない。また、著者にとっては知っていて当たり前の人名が、現在となっては「これ誰?」という箇所も多く、ある程度、当時の時代背景、世情など…
『人に勝つより自分に勝て。 嘉納治五郎』 柔道の父と呼ばれた嘉納治五郎氏が遺したフレーズです。 柔道は、相手との戦いというのは一面のようです。 究極的には、試合は「お手合わせ」であり、よい組み手ができるかどうかに意識が向くのだそうです。 成果主義が蔓延り、賞金などがクローズアップされる時代ですから、勝ちにこだわる傾向が強いです。 勝負は時の運ともいいます。 当然のことながら、日常の鍛錬の積み重ね、ライバルとの切磋琢磨によって、鍛えられた上のことです。 これを運任せと考えてしまうと、鍛錬もせずに、試合に挑む無謀なことをしてしまうのです。 人生の中で、一番難しいのは、自己鍛錬です。それは、柔道でな…
1912年(明治45年)7月6日(土)、ストックホルム五輪の開会式が開かれました。 (日本五輪初参加)スウェーデンのストックホルムで開催されたこの五輪は、参加選手は28か国2406名(女性は47名でテニス、飛込、水泳に出場)で、18競技102種目が行われました。この大会では、日本がアジアの国としての初めてオリンピックに参加しました。 (初めて五輪に参加した日本人選手は2名) 日本人として初めて五輪に参加した2人。下は、その2人が選考された時の記事です。 (出典:新聞集成明治編年史 第十四卷 昭和15年出版」デジタル国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/1920445/1…
s28 森一生監督 「いだてん」きっかけで芽生えた嘉納治五郎への興味、熟成させやっと鑑賞(治五郎登場場面はそう多くないが勿論重要人物)山本富士子デビュー作 道場のお嬢さん役で稽古つけたり魅力的木暮実千代の女義太夫まで加わり豪華