正平3年/貞和4年(1348年)1月、前年12月に南朝討伐のため京を発した北朝方の高師直・師泰(兵力60,000人)と南朝方の楠木正行・正時(兵力3,000人)との間で行われた戦い。南朝方が負け、楠木正行・正時は自刃した。この後高軍は吉野を陥落させる。
随分前にMust Attackに投降したのに(7/30)こちらで公開するのは忘れていたようです。ボケたか? 以下のURLです。 https://drive.google.com/file/d/1v2YdX07i9mrT_xMSSnW7Y2ySdpO_kyqM/view?usp=sharing 最終マップはこんな感じです。左側が北ですね。 四條畷のマップ ユニットシートはこんな感じ。 ユニットシート 四條畷の戦いは、楠木正行の連戦連勝に驚愕した北朝方が、尊氏、直義に次ぐNo.3高師直を総大将として送り出したものです。その経過は、師直が山崎付近に陣を張ったのに対して、南朝方は淀川下流の渡辺の渡し付…
こんにちは、クラセです😄 先日のことです。 大阪出張してきました〜 別予定で関西空港経由で2日間の計画もあったのですが、新幹線で日帰りなりました。 関空経由なら天美に寄ってみたかったので、そのへんは「大阪出張②」のほうにまとめます。 始発で品川駅に向かいました。 せっかくJREポイントで朝食を買おうと思っていたのに、朝早すぎてニューデイズやエキュートが閉まってるオチからスタート(笑) 仕方なく新幹線改札へ向かいます。 始発前なのでシャッターが閉まってました。初見です。 改札の手前に売店が1っだけあったので、飲み物とカツサンドとカフェラテをゲットしてホームへGO 窓から景色を見ていたのですが、夜…
室町時代の出来事を年表にまとめた。 室町時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 鎌倉時代 後は 安土桃山時代 室町時代の 初期を 南北朝時代 終期を 戦国時代 と細分化することもある。 関連記事 室町時代の概要 室町時代の文化 室町時代の小区分 室町時代の出来事 前史 1318年 (文保2年) 後醍醐天皇 即位 1331年 (元弘元年) 元弘の乱 1333年 (元弘3年) 建武の新政 1335年(建武2年)中先代の乱 1336年(建武2年) 建武の乱 室町前期 1336年 (建武3年) 建武式目 制定 1336年 (建武3年) 北朝 第2代 光明天皇 即位 南北朝時代 1337年 …
南北朝時代の出来事を年表にまとめた。 南北朝時代 は 日本の歴史の時代区分の一つである。 前は 鎌倉時代 後は 室町時代 広義の室町時代に含まれる。 南北朝時代の概要 南北朝時代の文化 南北朝の段階区分 南北朝時代の出来事 前史 1318年 (文保2年) 96代 後醍醐天皇 即位 1331年 (元弘 元年) 元弘の乱 1331年 (元弘 元年) 北朝 初代 光厳天皇 即位 1333年 (元弘3年) 後醍醐天皇 重祚 1333年 (元弘3年) 建武の新政 1334年 (建武元年) 二条河原落書 1335年(建武2年)中先代の乱 1336年(建武2年) 建武の乱 1336年 (建武3年) 建武式目…
四條畷神社御朱印 参拝日:令和5年(2023年)7月19日 二の鳥居 手水舎 本 殿 御妣神社 摂社末社 楠天神社 有源招魂社 忠孝両全 貞仁両全 一の鳥居 授与所受付時間 アクセス 大阪梅田JR北新地より学園都市線に乗って四条畷駅に向かいます。 以前、私が大阪に住んでいた頃は梅田から環状線に乗って京橋駅で降車、JR片町線(学園都市線)で通っていたものだ。 四条畷駅は昔とあまり変わってなかったが、駅前は全然違った。 駅前の道を真っ直ぐ山の方に歩いたので少し迷いました。 やっと四条畷神社の鳥居が見えて来ました。 後を向くと結構歩いて来ましたね、遠くには大阪のビル群が見えます。 二の鳥居 前を向く…
犬との旅行プランナーのキャンディです。 犬と一緒に旅に行くときのお手伝いをします。 今回の記事は、2分以内で読めます。 桜の花見で有名な吉野山は、今、新緑と紫陽花で旅人をお迎えしています。 令和5年6月25日(日)に、奈良県吉野郡吉野町吉野山の吉野山観光駐車場から歩いて金峯山寺、吉水神社などを参拝後、如意輪寺のあじさいを愛犬と観に行ってきましたので数回に分けて紹介します🐶 第一回目は、下千本駐車場から愛犬🐶と歩いて金峯山寺経由で如意輪寺に行ってきましたので紹介します🐶 江戸時代の俳人、松尾芭蕉が歩いたであろう金峯山寺蔵王堂から如意輪寺の山道を愛犬と散歩しました。 なお、吉野山周辺での犬のマナー…
駅のホームに碑が… これまた唐突な… 瓢箪山駅で近鉄電車を降りると「楠木正行公墓」の碑が見えました。 近鉄瓢箪山駅は以前に何度か利用してたんですが、こんなところに碑があるなんて気づきませんでした。 楠木正行ってお方は楠木正成の長男ですよね。 いわゆる小楠公さんです。 「櫻井の別れ」って歌の歌詞にも「我が子正行呼び寄せて~」って感じで出てきます。 小楠公さんと言えば四条畷の戦いが有名なんで、お墓とか所縁のモノは千早赤阪周辺や四条畷界隈にあるもんだと思ってましたが、まさか東大阪に公墓があるなんて阪南は奥が深いです。 南北朝時代は興味深い時代で、楠木正成公は家が湊川神社の近くなこともあってエピソード…