正徳2年4月7日。この日から13日まで誓願寺で供養説法が行われる。堅空上人が勤める。呉服町町代角倉彦九郎は祭礼に出るので従弟伊勢町の勘右衛門と申し合わせ、祭礼の拵えを立派に飾り立てたいとのことであった。彦九郎は彦兵衛の子で29歳で橘屋の跡役の町代であった。橘屋は今まで立派に飾り立ててきたので、金に糸目をつけずに飾り立てないといけないと友人たちも同調した。しかし、父は怒って飾り立てるのを止めた。昨夜彦九郎は近所に遊びに出かけ、戌(午後7時)刻に帰った。茶碗で酒を1杯呑み、3才の愛しい子を乳母に託して閨(ねや)に入った。そして寝具の中で自殺した。この朝、日が高くなるまで起きてこなかったので、見に行…