打吹城が築かれる前に、山名氏が伯耆の守護所として築いた山城。川沿いの険しい岩山に築かれたことから、巖城とも呼ぶ。 南北朝時代の武将山名時氏は、源氏の名門新田氏の一族ではあったが、縁戚関係などから、同じく源氏の名門である足利氏と近しく、足利尊氏の鎌倉幕府に対する挙兵から建武政権への参加と離脱、室町幕府創業まで、一貫して尊氏に従った。 そして、建武4年(1337)に伯耆の守護職に任じられ、その守護所として築いたのが田内城である。また、一説には、興国年間(1340-47.1)の始めに時氏が築き、嫡男師義を入城させたともいう。 伯耆と言えば、後醍醐天皇を迎えた南朝方の巨魁名和長年の本拠であり、長年は前…