目的が持ち込まれた途端に存在することをやめてしまう享受の快を剥奪することは、人間に病としての依存症への道を開く。社会がこのまま進み、すべてを手段化した時、我々はおそらく、これまで見たことのないような依存症に出会うことだろう。 人間から享受の快を剥奪してはならない。それは人間の生すべてを目的ー手段連関に従属させることだからである。(國分功一郎『手段からの解放』新潮社、2025) おはようございます。昨日の給食は勤務校での「最後の昼餐」でした。教室の前まで給食のワゴンを運んでくれる調理員さんにお礼とお別れの挨拶をしたところ、曰く「学級通信をいつも読ませていただいていました」とのこと。教室前の廊下に…