野球解説者、元・東映フライヤーズ選手、日本ハム・ファイターズ、ヤクルトスワローズ監督。
1935年12月5日生まれ。東京都台東区出身。
右投右打、ポジションは投手。背番号は21番。
プロ通算成績は455試合登板、162勝135敗。
日本橋高卒業後、実家の魚屋を手伝いながら、軟式野球のチームで活躍。
1955年、東映フライヤーズに入団。
1年目より一軍で活躍、1958年には1試合16奪三振の当時日本記録をマーク。
1959年27勝16敗、1960年30勝16敗を挙げるも、最多勝は獲得できなかった。
1962年、エースとしてフライヤーズのパ・リーグ優勝・日本一に貢献。
1967年、現役引退。
1973年、日拓ホームフライヤーズの監督に就任。同年、退団。
1984年、ヤクルトスワローズの監督に就任。1986年まで務めた。
1987年、フジテレビの野球解説者となる。
1992年、日本ハム・ファイターズの監督に就任し、古巣復帰。同年限りで退団。
2001年、マスターズリーグ発足と共に、東京ドリームスの初代監督に就任。
強豪チームを形成し、プロ野球時代にできなかった優勝を2度経験*1。
2010年10月10日、大沢啓二が逝去したため週刊御意見番のゲストとして登場。2012年まで沢村賞の選考委員を務めていた。
2013年8月24日、側索硬化症により死去。享年77歳。
*1:2002年-2003年の胴上げの際、太り過ぎのため上がらず、大沢啓二と張本勲に喝を入れられた。