かつての物部氏の拠点集落であった布留遺跡の祭場跡と調度重なっており、神々が人間を創造した場所に今後の信仰の中心拠点となる地場を定め、その証に甘露台が設置された明治八年の春、神の啓示により、地場の芯を定められた。この日中山家の屋敷内を、人々に歩かせられた所、一点に来ると不思議にも足が動かなくなる。そこへ教祖は模型の甘露台を据えたもうた。この甘露台は地場定めは、本教の信仰に点睛されたもの同然で、而来人々の信仰は、この甘露台を対象として次第に向上して来た。同年表門の建築に着手せられる、門の向かって右側には窓なしの倉あり、左側は後に中南と称し、教祖の住居とせられた。※元の神、実の神々と出会う処→ふるの…