洋画家。1882年久留米市京町に生まれる。 子供のころから絵が好きだったが、家が貧しかったため進学をあきらめ、小学校の図画の教師をする。 のち上京し苦労の末、数々の展覧会に入選し、認められるようになる。 フランスに留学。そののち故郷久留米にもどり、「牛」「馬」「筑後の自然」など自然の美しさを描き続け、日本の洋画界の代表的な作家と評価された。
愛知県美術館のパウル・クレー展へ行って来ました 所蔵作品も展示してあり、坂本繁二郎の作品もありました 宇宙さんありがとう。 宇宙さん愛してます。 地球さんありがとう。 地球さん愛してます。 にほんブログ村
谷川徹三『芸術の運命』(岩波書店、1964)より切取らせていただきました。 今では行届いた写真集がある。『別冊太陽』『芸術新潮』ほかで、写真と解説満載の特集号も出ている。 学生の分際で円空仏について知る機会は、ほとんどなかった。谷川徹三『芸術の運命』との出逢いは、熊谷守一と坂本繁二郎に近づくきっかけを得た点で巨きかったが、円空を知ったことはもっと巨きかった。元禄年間に入寂した天台の僧である。西鶴・芭蕉の時代だ。旅先で当地の材に仏像や神像を彫り、長逗留することなく次の地へと発ってゆく暮しを続けた。 鉈彫り(なたぼり)という昔から民間にあった粗彫りの技法で、あっという間に彫りあげてしまう。桜材から…
熊谷守一美術館、往来に面した外装画。 往って帰ってきただけでは散歩にもならない。それほど近所に、熊谷守一美術館がある。一九八五年開館だそうだが、私は記憶していない。気が付いたら開館していた。会社員時代、つまり我が生涯でもっとも目まぐるしかった時期に当っていて、美術界の情報に疎かったのだろう。 熊谷ご夫妻が住んでおられたお宅の跡地が、画伯没後に美術館となり、やはり画家でいらっしゃる次女の榧さんが館長となり、今日まで続いてきた。 二階は企画展示室だが、一階には熊谷守一作品の常設展示室があり、喫茶スペースもある。いつ立寄らせていただいても気持の好い、小美術館である。 悪ガキ時代は、いつもというほどで…
よろコンです。 芸術の秋!ですが、一気に晩秋のような気温 「〇〇の秋」って、いつか、秋が無くなっなっちゃうかも・・・ ということで、この前の日曜日、コンサート&美術館に行ってきたので、そのことをブログにします。しばしお付き合いください。 まずはコンサートから ELECOM クラシックスペシャル 日本フィルハーモニー交響楽団 第398回 名曲コンサート @サントリーホール 指揮:小林研一郎(こばやし けんいちろう) 曲目: ・J.S. バッハ 「主よ、人の望みの喜びよ」 「トッカータとフーガ 二短調 BWV565」 「バビロンの河のほとりにて BWV653b」 オルガン:大平健介(独奏) ・エル…
引用元:filmarks.com アーティゾン美術館で開催中の「ふたつの旅 青木繁 坂本繁二郎」展を観てきた ふたりは共に1882年に福岡県久留米市に生まれ、同じ高等小学校で学び、同じ洋画塾で画家を志した アーティゾン美術館の創設者・石橋正二郎も久留米市出身で、このふたりの画家を同時に展示する二人展は66年振りということで、特別な思い入れを感じさせた 年代順に約250点の作品が展示され、個々の作品の解説とは別に、当時の様子を伝える説明書きも充実していて、食い入るように眺めてはまた作品に戻ったり、しっかり堪能した いわゆる「早熟の天才」青木繁の方が先に上京、数年後に帰省した青木の作品を観て、その…
坂本繁二郎(1882‐1969)自像(1923~30年)カンヴァス油彩 52.8×45.2㎝〈部分〉 猛暑のさなかに、じっくり眺めかえす画家として、坂本繁二郎は適切でないとは思うのだが。 岸田劉生も梅原龍三郎も、観るたびに偉大だとは感じるが、この季節には暑苦しくていけない。佐伯祐三もいけない。 安井曾太郎の聡明な画面の力で、頭のなかをスッキリ整理させてもらいたい。熊谷守一の功徳で、我もまた取るに足らぬ小さき命のひとつと気づきなおして、ほのぼのとさせてもらいたい。松本竣介もよろしい。 坂本繁二郎が夏向きでないのは承知のうえで、必要に駆られて久びさにペラペラ眺めた。近ぢかお若いかたがたに向けて、文…