『倭姫命世記』〔やまとひめのみことせいき〕中の、「神は垂るるに祈祷をもって先となす。冥は加うるに正直をもって本となす」から採られた、吉川惟足〔ヨシカワコレタリ〕が山崎闇斎に贈った名号。――に基づく神道流派。 当時主流だった朱子学を折衷した、科学的な神道だった。(勿論、山崎闇斎を教えた吉川惟足の吉川神道でも「理学神道」と呼ばれる理智的な神道だった。が、よりもっと――、なのだ。)
共通テストの説明はこちら ↓ rekinet.hateblo.jp 山川用語集で医療関係をひろってみました。山川教科書がだいたいわかったという人は、用語集の中の文章を追加していきましょう。★例によって、赤本と照らし合わせましょう。 医療と関係ないことも、教科書やノートやその他自分の使っている教材に書き込み追加するといいでしょう。 6世紀中頃の欽欽明朝にも易・暦・医博士も百済から渡来した。 ★段楊爾(だんように)は五経博士 百済亡命貴族軍事・医学・陰陽・漢詩文などに優れる P48典薬寮医薬などをつかさどる官司医博士、医道(和気氏・丹波氏から出た医博士らが、医生らの学生を教えた。 国司の管轄下に博…
室町時代の文化 南北朝文化←ここが盲点 北山文化 東山文化 山川の教科書のP139からよく読みましょう。 P140 南北朝文化 『増鏡』(源平争乱以後の歴史を公家の立場から記した) 伊勢神道の理論を背景に難聴の立場から…道理…北畠親房『神皇正統記』 足利市の政権獲得までの過程を武家の立場から記した『梅松論』 軍記物では、南北朝の動乱の…『太平記』 …「二条河原の落書」にみられるように、武家・公家を問わず広く連歌が流行し… 茶寄合、当茶、バサラ のところも読みましょう。 北山文化 夢窓漱石(臨済宗)は、はずせませんね。 南宋の官寺の制にならった五山・十刹の制(足利義満のとき、時期に注意) ★正誤…
直近の総復習として、教科書や資料集の索引、あるいは資料集の「用語集」、場合によっては愛用している参考書でチェックするという方法は大変有効な学習の仕方である。教料書、資料集については、ぜひ、全員やってほしい。 ところが、場合によっては、時事問題など、そこから抜け落ちたりしている重要語句もあったりする。そこで、特製バージョンをプレゼントする。基本的な用語は捨象している場合がある。あくまで90点超えのためのチェックリストだと思って、目を通してみよう。申し訳ないが、重要度順という訳ではないし、しかも、敢えてアトランダムに列挙しており、並びに関連性はない。 以下の用語の意味が分かるかどうか?この用語から…
文化史もいろいろありますが、暗記が大変ですね。 仏像が全部同じに見えるとか、 文学作品の時代がわからないとか、 絵巻物がややこしいとか、 近現代の文化が多すぎるとか、 まあ、いろいろ思うでしょう。 とりあえず、 鎌倉(新)仏教と近世の儒学はやっておきましょう。 鎌倉の仏教は、 天台宗で学んだ僧侶が始祖なので、 天台宗と真言宗(平安仏教)も復習しておいてください。 ほ・え・し・ど・に・い (なぞの呪文) 法然・栄西・親鸞・道元・日蓮・一遍 は時代順なので、まず順番を覚えてください。 あと 他力・南無阿弥陀仏 浄土宗…法然 浄土真宗…親鸞(絶対他力) 時宗…一遍 自力・坐禅 臨済宗…栄西(公案) …
アニミズム 日本には、邪馬台国の卑弥呼が書物に‘鬼祷をよくし’と残されている。 これはつまり、まじない(呪い)を得意としている、という意味になる。 日本には古来から‘アニミズム’という考え方がある。 これは、海、山、石等に神が宿りそれを崇拝するという事になるのだが、身近な例で言うと道祖神様や神社の八百万の神々に繋がる。 またそこから、垂加神道、本地垂迹説なども歴史の中で当たり前のように出てきた。 やはり、頼り所の神様は経歴身元がしっかりしていないと、日本人は信仰しにくいようだ。日本では、本地垂迹説は天照大神様を大日如来の化身と捉える事にするとかが議論されている。 これは、持論に過ぎないが、古代…
ミ 復古神道の爆発 吉田神道や垂加神道の流れを汲み、仏教や儒学の影響を排除し、古事記や万葉集などの、我が国固有の古典に忠実に従おうとしたのが国学者たちだった。 その先兵となったのが、京都の伏見稲荷大社の神官の家に生まれた荷田春満(かだあづままろ)(一六六九~一七三六)で、神職を弟に譲り、国学を研究し、我が国固有の道を説くことに専念した。 荷田家の神道は吉田神道の流れを汲み、さらには山崎闇斎の門弟が伏見稲荷大社の神官に就いていたことから、春満は幼年時代から神道中心の考え方を持っていた。 荷田春満は国学・復古神道の先駆者で国学四大人(うし)の一人と言われ、賀茂真(ま)淵(ぶち)(一六九七~一七六九…
崎門学の創始者 闇斎の提唱した朱子学を、崎門学または闇斎学という。 湯武放伐を否定 『湯武革命論』 殷の湯王は夏の傑王を放ち、周の武王は殷の紂王を伐ったことは是か非か? ※中国の儒家も結論を出せなかった 明確に否定する 臣下が主君を殺すこと(乱臣)は、根本原理の蹂躙でありあってはならない =孟子を批判し、孔子や朱子の足らない所を補う ↑革命的大回転=日本学問の独立宣言 経典を批判することはタブー 「劉邦は秦の民であったし李淵は隋の臣であったのだからこれが天下を取ったのは反逆である。それは殷でも周でも他の王朝でも同じことで、創業の英主といわれていても皆道義に反しており、中国歴代の創業の君主で道義…
一条真也です。『教養としての神道』島薗進著(東洋経済新報社)を読みました。「生きのびる神々」というサブタイトルがついています。著者から献本していただいた本です。著者は、宗教学者。東京大学名誉教授。日本宗教学会元会長。1948年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。主な研究領域は、近代日本宗教史、宗教理論、死生学。著書に『宗教学の名著30』『新宗教を問う』(以上、ちくま新書)、『国家神道と日本人』(岩波新書)、『神聖天皇のゆくえ』(筑摩書房)、『戦後日本と国家神道』(岩波書店)などがあります。 本書の帯 本書の帯には、「神道1300…
LINE出澤剛管理者に、「祖父母菩提寺浄土真宗本願寺派明願寺」等、以前投稿した(line)を削除されました⚠️ LINE【世良康雄】タイムライン2月3日📻(木曜🌃9時半)【森祐理心のメロディ】への世良康雄自身のコメントは、2022年6月10日(金曜午後1時前)に削除されており、記載内容覚醒剤指名手配犯曹圭聖チョ=ギュソン等利害関係者対策の為、読者の方々は、他タイムラインの印刷もお願いします🙏 《(LINE)出澤剛管理者》https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1305107060003542&id=100015127804576 https://…
楠木正成と聞いて、南北朝時代の武将と正しく答えられる日本人は現在、半数くらいではないでしょうか。歴史上の人物であることは分かったとしても、いつの時代の人物かはよく分からない人も珍しくないはずです。 南北朝時代は、源平合戦、戦国時代と同じく、日本各地で大小の合戦が行われた時代ですが、その三つの中で注目度は最も低いでしょう。小説や映像ドラマなど各種フィクションで取り扱われる量でいっても、源平合戦は戦国時代の10分の1程度で、南北朝時代は源平合戦の10分の1程度ではないでしょうか。 私も楠木正成についてよく知るようになったのは20代も半ばになって、太平記の解説本などを読んでからです。そこでまず驚いた…
久しぶりに倫理のお話です。 今日のテーマは平田篤胤(ひらたあつたね)です。この人のキーワードは復古神道です。 私はこれを覚えるのに、中日ドラゴンズの平田選手が今年、異型狭心症という病気から復活しようとしているので、平田→復活と関連づけようと考えました。 しかし、しばらくしてより良い暗記法を編み出しました(おおげさ)。復古というのは昔の状態に戻すことなので、昔を思い出して、そんなこともあったね〜あつたね〜篤胤…。 …評判が悪いようなので、もう一つ。 山崎闇斎と垂加神道の覚え方です。 これは皆さんの知り合いに山﨑さんはいらっしゃいますか?その知り合いの山﨑さんに会ったり、思い出したりするたびに、顔…
神仏習合 習合神祇信仰垂迹 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象[1]。神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。 当初は仏教が主、神道が従であり、平安時代には神前での読経や、神に菩薩号を付ける行為なども多くなった。日本で仏、菩薩が仮に神の姿となったとし、阿弥陀如来の垂迹を八幡神、大日如来の垂迹が伊勢大神であるとする本地垂迹説が台頭し、鎌倉時代にはその理論化としての両部神道が発生するが、神道側からは神道を主、仏教を従とする反本地垂…
1、明治二十年代の「透谷も天下国家を議論しようとする悲憤慷慨の精神の持ち主であったと言える だろう。彼が漢文体に託した思想は政治と連動する「経世の志」や「悲憤慷慨」と背 反する思想ではなく、むしろそこから進化したものだと捉えられるはずである」(Lu Chen)蓮實重彦は漢文体が悲憤慷慨に適応し、「言文一致じゃ「悲憤慷慨」は書けないだろう」と指摘したように、『論語』の話言葉的な現代語訳では義憤が起きてこないよな2、普遍主義は<多>である危機の時代に、失われた<一>は何処に現れるのか?どうして危機かと言えば、帝国が普遍主義の<語られ方>を作るからである。それは帝国が自ら普遍をもつとする根源的錯認で…
編者:井上 順孝[いのうえ・のぶたか](1948-) 著者:伊藤 聡[いとう・さとし](1961-) 著者:森 瑞枝[もり・みずえ](1967-) 著者:遠藤 潤[えんどう・じゅん](1961-) 装幀:加藤 光太郎[かとう・こうたろう] シリーズ:ワードマップ NDC:172 神祇・神道史 つかみ難い神道の全体像を主体・回路・情報というシステム的観点から捉えることで,神道の起源,仏教・道教・儒教との習合分離,天皇制と国家神道,生活のなかの神道,東アジアのなかの神道など多様な問題群に見通しのよい整理と理解を与える。 神道 - 新曜社 本から広がる世界の魅力と、その可能性を求めて 神道―日本生ま…
結構色々やった人 土御門泰福卿*1は、私にとっては先ず、 前田尊経閣文庫所蔵の『占事略决』の写本を*2鑑定して、本物と判断した。 人なんだけど、実は生涯の中で後々まで影響のあることを色々やった人だ。 山崎暗斎に垂加神道を学んだ。 同門の安井算哲*3の貞享改暦をサポートした。 垂加神道をベースに土御門天社神道を創始した。 配下に組み込んだ大黒党からの訴訟に負けて、大黒党もまた安倍晴明の末裔と認めさせられた。 で、貞享改暦において土御門家は大きな実利を得ていた。 貞享改暦において安井算哲の大和暦は朝廷からの反発が大きく、暦道を受け継いだ賀茂家の末流である幸徳井家が明の大統暦*4による改暦の勅許を得…