リスト:リスト::出版社 1946年白石義明(1914-)が創業。白石は福島県出身。社屋は文京区本郷。当初は人文書一般を刊行したが、1950年代から国文学研究書を刊行し、雑誌『国語国文研究』(北大)を刊行。のち社長は白石タイ(妻)、白石静男(弟)、白石禎彦(長男)と変わる。塙選書、塙新書なども刊行。
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2023年3月20日 YAHOO!JAPANニュース ALL REVIEWS「地中から出土する文字史料が語る古代社会とは?―『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』 『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』(八木書店) 日本全国から出土する墨書土器。その数は20万点に及ぶといわれている。全国の発掘調査により出土した多様な墨書土器・文字瓦を読み解き、東アジア漢字文化圏での事例など、多彩な論点から古代社会を再現する。 ◆文字の歴史を明らかにするために 人類は、文字の使用によって、文…
何を隠そう、大きな声では言えないが私は「九州王朝」信奉者である。日本古代史に興味を持って〇十年、新刊にもできるだけ目を通しているが何といっても昔の本を引っ張り出しての再読が多くなる。そんな中で、ダントツの再読率を誇るのがこの本の著者、古田 武彦先生である。お会いしたこともない、講演会にすら行ったこともない私が日本古代史で唯一、先生と呼びたい方、それが古田 武彦先生である。読むたびに、めくるたびにノックアウトされる。それはそれは凄いものだ。 歴史学界で名高い「郡評論争」のことは知っているかな。大化改新の詔発令の646年(大化2)から大宝令制定の701年(大宝1)までの間の地方行政組織が《日本書紀…
―その2067― ●歌は、「玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため」である。 高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(73)万葉歌碑(長忌寸意吉麻呂) ●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(73)である。 ●歌をみていこう。 題詞は、「詠玉掃鎌天木香棗歌」<玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌>である。この互いに無関係の四つのものを、ある関連をつけて即座に歌うのが条件であった。 ◆玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為 (長忌寸意吉麻呂 巻一六 三八三〇) ≪書き下し≫玉掃(たまはばき) 刈(か)り来(こ)鎌麿(かままろ)むろの木と棗(な…
●歌は、「我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに」である。 島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」万葉歌碑(大伴家持) ●歌碑は、島根県益田市 県立万葉公園「石の広場」にある。 ●歌をみていこう。 ◆吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏 (大伴家持 巻四 七四三) ≪書き下し≫我(あ)が恋は千引(ちびき)の石(いし)を七(なな)ばかり首に懸(か)けむも神のまにまに (訳)私の恋の重荷(おもに)は、千人がかりで引く石を七つも首にかけるほどですが、それも神の思(おぼ)し召(め)しのままです。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より) (注)ちびき【千引】の=岩(い…
谷口匡(たにぐちただし)著「読み継がれる史記~司馬遷の伝記文学」塙書房刊 を読み終えた。 史記は中国歴代王朝などの正史・二十四史の最初に位置付けられ歴史のみでなく文学的な価値も広く知られており、前漢の武帝の時代(紀元前141年~87年)司馬遷(しばせん)によって書かれた。 史記は人物を中心にして歴史を記述するいわゆる紀伝体(きでんたい)で書かれており事柄を中心とする編年体(へんねんたい)と対比される。 司馬遷は漢で「太史公(たいしこう)」と呼ばれた史官の父親・司馬談の遺志を継いで同職として人物中心の歴史を書き始め途中「李陵の禍(りりょうのか)」といわれる武帝の怒りに触れ、宮刑(きゅうけい)の屈…
書名 平安朝の年中行事 塙選書 75 著者 山中 裕 発行所 ㈱塙書房 発行日 1972年6月30日 初版 第1版 2002年5月10日 初版 第12版 年中行事の意義は何か、年中行事の成立と変遷から説き始めて、四季における具体的なものを表示し、平安文学についても述べる。 わが家は簡略ながらも、母親がしていたような行事を出来る範囲で真似て、暮らしに取り入れている。たとえささやかなものであってもそれだけでも暮らしは豊かな楽しいものになる。この本では伝統的な行事の詳細を知ることが出来てなんだか嬉しくなる。
●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。 愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(11)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集) ●歌碑は、愛媛県西予市 三滝公園万葉の道(11)にある。 ●歌をみていこう。 ◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹 (柿本人麻呂歌集 巻十 一八九五) ≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも) (訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文…
昭和47年(1972)6月30日 初版発行 山中 裕 著 塙書房 ¥2400+税 本書では、平安時代の年中行事の起源から成立、変遷をたどり、摂関時代の年中行事 の特質と意義が論述されている。 さらに平安朝文学にあらわれる年中行事はどのように捉えられているかについても述 べられている。 年中行事の研究は、民俗学の立場から柳田國男によってあまねく研究されているとい って過言ではない。国文学も踏まえた独自の視点で年中行事を捉えた折口信夫の研究も 見逃すことはできない。 民俗学の立場から、または国史・国文学の立場から年中行事を研究しようと思ってい る方に一読をお勧めする一冊である。
当ブログでの注意事項ブログでは紹介された書籍のみを取り上げる。論文は(日本史・アジア・アフリカ史・西洋史)。 地域・時代によって重複しているものもあり。 原則Amazon登録してあるものを中心に。未登録のものも多数あることに注意。 各書籍の評価を知りたければ、「回顧と展望」を図書館などで頑張って読もう。もしくはAmazonの内容紹介を確認してみよう。 紹介された書籍の内、このブログではあくまで個人的に興味があるものだけを取り上げる抜粋紹介にすぎない。
ある日の本日の返却本? 明るい炭鉱 作者:吉岡 宏高 創元社 Amazon 著者は、ここの理事長らしい:NPO法人炭鉱の記憶推進事業団 (いわば)地上の空間は、地下の石炭採掘の営みを反映した、うたかたの姿に過ぎない 「日本の国土は鉱物の見本市」なんだと。ググってもそのものズバリはヒットせんが*1…あと、同じ鉱山でも金属と石炭では掘り方が違うらしい。 本書によると、明治初期にwikipedia:お雇い外国人がアメリカからたくさんやってきたのは、ちょうどその時期アメリカでwikipedia:フロンティアが消滅したから、とのこと。確かに、言われてみれば納得できる。 wikipedia:SD採炭 wi…
吉井健(2017.11)「「白妙の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ」:万葉集のテ形による副詞句」『万葉集研究37』塙書房 要点 古代語で付帯状況を表すテ形節(論文では「テ系句」)に、主体の異なる例があること(袖さへ濡れて朝菜摘みてむ)に注目し、テ形節の様相について考える*1 連用形/テ形+思考動詞(思ふ・思ほゆ)については、 形容詞連用形+思ほゆ・思ふ には「情意表現への傾斜」があるのに対し(楽しく思ほゆ・1015) 形容詞テの場合にはそういった例がない 動詞連用形+思ほゆ・思ふ の例も乏しく(~欲り思ふ を除く) 動詞テ形は、形容詞連用形とふるまいが似る(心には燃えて思へど・2932) 「動詞+テ」…
―その1682― ●歌は、「魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに」である。 福井県越前市 万葉ロマンの道(45)万葉歌碑<道標燈籠>(狭野弟上娘子) ●歌碑(道標燈籠)は、福井県越前市 万葉ロマンの道(45)にある。 ●歌をみていこう。 ◆多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓 (狭野弟上娘子 巻十五 三七六七) ≪書き下し≫魂(たましひ)は朝夕(あしたゆうへ)にたまふれど我(あ)が胸痛(むねいた)し恋の繁(しげ)きに (訳)あなたのお心は、朝な夕なにこの身にいただいておりますが、それでも私の胸は痛みます。逢いたい思いの激しさに。(同上) (注)たまふ【賜ふ…
―その1606― ●歌は、「あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば」である。 広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(13)万葉歌碑<プレート>(柿本人麻呂歌集) ●歌碑(プレート)は、広島県呉市倉橋町 万葉植物公園(13)にある。 ●歌をみていこう。 ◆足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎ゞ乎 雪落者 或云 枝毛多和ゝゝ (柿本人麻呂歌集 巻十 二三一五) ≪書き下し≫あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 或いは「枝もたわたわ」といふ (訳)あしひきの山道のありかさえもわからない。白橿の枝も撓(たわ)むほどに雪が降り積もっているので。<枝もたわわに>(…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 武士が百姓を偏見で差別したのにはワケがあった。 武士による斬り捨て御免や辻斬りは、気が荒いからでもなく特権意識からでもなく庶民への嫌悪と差別から起きていた。 武士は百姓や町人が嫌いであり、戦国大名たちが死を覚悟して戦ったのは祖先から受け継いだ領地を守る為であって、戦う事なく逃げ回る領民を守る為ではなかった。 ・ ・ ・ 友・友人を助けるといっても、本気で助けるのは親友や戦友であって、名前や顔を知るだけの知人ではない。 ・ ・ ・ いい日本人は2割、悪い日本人は3割、何方とも言えない…
洋学史学会若手部会では、8月例会を開催致します。ご関心のある方はふるってご参集ください。 【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】日時:2022年8月6日(土)14:00〜16:10会場:参加者にURL配布参加資格:なし、※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。事前登録制、登録はコチラ から。※8月4日(木)18:00入力締切回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。 報告者①:萱田寛也(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)報告タイトル:「江戸時代後期の社会における…