城の名は地名や城主名、また茶臼山や陣山のように山の姿や機能で呼ばれることが多いのだが、「都我布呂」とは何とも妙な名前。『美作垪和郷戦乱記』によれば「ふろ」とはこの地方の方言で森を指すとあるから「栂《つが・とが》の森」を意味する。事実「栂森」と記す文書もある(閥閲録巻112など)。城名は単なる当て字に過ぎないようだ。 城の標高は414m。吉備高原の一角にあり、周囲には標高400m前後の小起伏面が広がる。城の周囲は豊岡川の刻んだ深さ100mほどの谷が刻まれるが、北側から見る城は高原上の小丘に過ぎない。城の中ほど、独立標高点のある丘頂から南北双方に向け、側面に通路を備えた曲輪が階段状に並ぶ。曲輪の規…