曹操は河西回廊を支配していなかったのかも知れない、という記事を前回書いた。あるいは晩年になってその支配を進めつつあったがそこに火種を抱えたまま曹操は世を去った。そして曹丕の代になると同時に河西は燃え上がった。それも一度でなく、二度、三度と。 文帝紀がその時系列を丁寧に追っているとは言い難い。それもあってか、私の頭の中では整理がついていなかった。今回書きたいのは各反乱の一覧化、時系列の整理、そして蘇則がいつ中央に召還されたか、である。 さて、長々と行ったり来たりの考察を載せる前に、記事を書き上げたあとに作った地図を置いておこう。各郡の反乱者一覧であるが、反乱年は推定のものを含む。なお、今回とは関…