フランス文学者、評論家、文芸評論家。1924年京都市生まれ。京都大学名誉教授。 京大文学部仏文科卒。京大人文科学研究所助教授・教授を経て、現在神戸山手大学環境文化研究所所長。 身辺雑事から広く日本文化を語り、著書に『変身放火論』(伊藤整文学賞)『クラウン仏和辞典』(編纂・毎日出版文化賞)などがある。
朝は5時頃になりますと、一度目が覚めることになります。起き出して新聞を とってから、それをふとんのなかで目を通してまた眠ることになりです。 今朝の新聞を手にしましたら、すぐに一面に小沢信男さんの名前を発見することに です。本日の「折々のことば」鷲田清一さんが、小沢さんの俳句をとりあげてくれ ていました。新聞の一面に小沢さんの名前が登場するのは、鷲田さんのおかげであ りまして、前回の掲載は昨年の11月でありました。 vzf12576.hatenablog.com 今回はそろそろ梅雨時期ということもありまして、小沢さんの俳句では一番有名 なものを話題としています。 学ならずもんじゃ焼いてる梅雨の路…
はじめに お久しぶりです!そして、2023年も10%が過ぎてからの、あけましておめでとうございます。🌅 またまた更新が途絶えてしまったことをお詫びします🙏 近況報告はまた次の記事で書こうと思いますので、さっそく本題に入りましょう。 前回は、アニメーションの隆盛を、コマーシャルと『おかあさんといっしょ』の観点から考察しました。詳しく知りたい方は、こちらもご覧いただくと嬉しいです。 yururiyuruyuru.hatenablog.jp 今回は、アニメーションの作品にそれぞれ焦点を当てて、アニメーション黎明期にどう評価されていたのかを講じていきたい所存です。10000字に及ぶ冗長な文章となってし…
シャルル・ボードレールの韻文詩集『悪の華』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じく、キリスト教の『聖書』の知識がないと、なにが書かれているかを充分に読み説くことがむずかしい書物である。 韻 文 訳悪 の 華シャルル・ボードレール平岡公彦訳トップページ あなたのクリックが力になります。 ▼ にほんブログ村 聖書の物語は、欧米のキリスト教文化圏の人々にとっては一般教養というよりも常識と呼ぶのがふさわしい知識だろう。私たち非キリスト教国の国民でも、「創世記」におけるアダムとイブの物語や、『新約聖書』におけるイエスの誕生からゴルゴダの丘での刑死にいたる神話の大筋くらいはだれでも知っているはずだ。これ…
敵(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが青春は、輝かしき陽光もあちこちに 通り抜けた暗澹たる雷雨でしかなかった。 落雷と雨のもたらした荒廃にさらされた私の庭に、 残ったものはごくわずかな紅緋色の実だけだった。 いまやこの私も理念の秋にさしかかった。 これからは私もシャベルやレーキを使い、 洪水が墓場のようにいくつも大きな穴をえぐった、 水浸しの土地を集めて新生させなければならない。 果たして、私の夢見る新たなる花たちは、 砂浜のように洗い流されたこの地からも、 力強くしてくれる神秘なる糧を見出せるだろうか? ――おお痛い! おお痛い! 時が生命を食えば、 われらの心を蝕んで…
12月2日 誕生日の全国35万人の皆さん、おめでとうございます (拙句)早熟のベニマンサクを抱きしめる 雅舟 【花】 マルバノキ(ベニマンサク)(マンサク科) 【花言葉】 早熟【短歌】 冬晴れのベニマンサクは小さくて少女みたいな真剣な花 鳥海昭子 別名の「ベニマンサク」の方がぴんとくるでしょう。マンサク は早春に黄色い花をつけますが、こちらは晩秋に赤い花を つけます。この花をみると真剣な少女のまなざしを思うのです。 【季語】紅万作(歳時記になし) 木の葉散る【俳句】木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ 加藤 楸邨 二三子と木の葉散り飛ぶ坂を行く 高浜 虚子 且つ散りて紅葉筏となりゆくも 有山八洲…
けしからぬ修道者(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 昔日の修道院にある回廊の大きな壁には、 聖なる真理が壁画に描かれて並んでいた。 その効果は、敬虔なる胎を温め直しては、 その謹厳さの孕む冷たさを和らげていた。 キリストのまいた種が花開いていたそのご時世に、 今日では、その名を引かれることも少なくなった、 一人ならぬ著名な修道者が、埋葬場をアトリエに、 純朴なる心で死神の栄光を称えていたものだった。 ――わが魂は、けしからぬ共住修道士のこの私が、 永遠の過去から歩きまわり、住み続けている墓場。 この忌々しき回廊の壁を飾るものなどなにもない。 おお、無為なる修道者よ! いつにな…
暑かった夏が過ぎ、秋が浸透し始めている。いつの間にか9月も下旬で、稲刈りも終わりである。久し振りにきっぱりした青空を見ると、夏の名残を見ることができる。日陰の中は妙に涼しく、そこでは行く夏を思い出してしまう。 文脈や状況に応じて植物の印象は大きく変わり、季節を代表する風景は意外に少ない。それでも、私たちはそれぞれの記憶の中に子供の頃の季節の風景をもっている。画像の幾つかは私の夏の風景の典型として記憶に刻印されたもの。 青と緑の組み合わせ、そしてそれに黄色が加われば、私の夏の色なのだが、そんな夏を思い出すのは大抵夏が過ぎ去ってからである。だが、誰もが「夏の思い出」で思い出すのは上越市生まれの詩人…
年をとるということは、自分の可能性を絞っていくことです。男も女も、可能性を絞るというのは、可能性の限界を知るということではありません。集中すべき的を、あくまで絞り込むんです。by塩野七生 若い人が優しくあれるはずがないんです。あらゆることが可能だと思っている年頃には、高慢とか不遜であるほうが似合っています。 優しさとは、「人生には不可能なこともある」と知っている大人だけのもの。 by塩野七生 『千年語録』 人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。 ただそれだけの理由なのだ。 byドストエフスキー 上智大学のデーケン先生が言われた、「ユーモアとは、単に楽しいこと、面白おかしいこと…
魂を売るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 おお、わが心のミューズよ、宮殿に恋い焦がれる人よ。 君のもとには、一月がボレアスたちを放す頃、 雪の降る晩の黒い退屈がずっと続くあいだに、 紫色になった二本の足を暖める燃えさしはあるのかい? 君の大理石のようなまだら模様になった肩は、 鎧戸から漏れる夜の光線にでも蘇らせてもらう気かい? 君の財布が君の口と同じくらい渇いたときは、 紺青の丸天井から星の黄金でも獲り入れてくる気かい? 君もやるしかないんだよ。毎晩のパン代を稼ぐために、 ミサ答えの子のように、振り香炉をふったり、 あまり信じていもしない「テ・デウム」を歌ったりさ。…
病を得るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが不憫なミューズよ、ああ! 今朝はどうしたんだ? 落ちくぼんだ君の両目に、夜の幻が住みついているよ。 それに君の面持ちにも、冷たく無口になった 狂気と怖気が、代わるがわる映って見えるよ。 薄緑色のサキュバスと、薔薇色のリュタンが、 そいつらの水甕から恐れと恋心でも君に注いだのかい? そうやって横暴で悪戯な拳をふるった悪夢が、 伝説のミントゥルナエの沼の底まで君を沈めたのかい? 私は願っているよ。君の胸がまた健康の匂いを発散し、 いつでも力強い考えの訪れる場となってくれるように。 君のキリスト者の血も滔々とリズムよく流れるよ…
「遅咲き偉人伝」をテーマとしたユーチューブ番組を作ることになりました。 月曜日の最初の打ち合わせの最中、その場で準備無しに「予告編」の動画をつくることになりました。 橘川幸夫さん「本日、20時30分に定例会があって、久恒さん、松本くん、橘川が参加。そこで久恒さんの「遅咲き偉人伝」の話になって、その場で、番組収録(笑)。シリーズの開始です。これは、老人ホームなどに提供していきたい。収録終わって一時間でYou Tubeに公開できる。私的な対話があっという間に公的メディアになる(笑)」 www.youtube.com 図解ウェブの大幅改定のミーティング。 NHKラジオアーカイブス「屋良朝苗」の1回目…
皆さん、こんにちは。 将棋普及棋士初段のIORIがお送りする「将棋する?」のお時間です。 それでは対局を始めさせていただきます。 フランスの社会学者、哲学者、文藝批評家であるR・カイヨワが「遊びは必然的に文化の一般的特徴を反映しており、一定の発展段階における一定の社会の好み、弱点、力を理解する際の絶好の指標を与えてくれる」(R.カイヨワ、多田道太郎・塚崎幹夫(翻訳)「遊びと人間」、講談社、1990年.)と指摘しています。 であれば、日本の伝統的なボードゲームの将棋にも必然的に日本文化の特徴が表出していると考えられます。 ただ将棋を楽しむのも全然いいと思います。しかし、将棋から日本文化を読み解き…
灯台(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 ルーベンス、忘却の河、自堕落の庭、 そこはだれも愛せぬ瑞々しき肉の枕。 それでも流れ込み、絶え間なく立ち騒ぐ生命。 空に満ちる空気や、海に満ちる海水のように。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、奥深く薄暗い鏡、 そこに現れる魅力あふれる天使たち。 一面に神秘を湛えた甘い微笑を浮かべながら、 彼らの国を閉ざす氷河と松の陰から。 レンブラント、一面にざわめきの立ちこめる、 大きな十字架像だけが飾られた悲しき施療院。 泪ながらの祈りが汚物から立ち昇る。 にわかに通り抜ける一条の冬の光線。 ミケランジェロ、ヘラクレスたちと キリストたちが混在して見える…
以下は、辻信一(元 明治学院大学教授 専門は文化人類学)著『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社 2001)からの引用です。実は、辻先生が熊本に来られた時に、この本にサインを頂いておりました。 多田道太郎は、今から30年前の日本でこう嘆いていた。世の中には勤勉の思想ばかりがはびこって、なぜ怠惰のイデオロギーがないのか。経済学ばかりが流行って、なぜ怠惰学がないのか。 中略 しかし、多田によれば、日本における勤勉思想の根はそれほど深くない。徳川時代の二宮尊徳をはじめとした日本の勤勉道徳は権力者によって上から押し付けられた比較的新しい、一時的な思想にすぎない。怠惰の思想こそが昔から民衆のうえで育ま…