徳川家康に仕えた武将で江戸幕府初期の旗本、大久保忠教の通称。
講談などにはこの名前で登場し、齢十六にして長篠の戦いの前哨戦の鳶ノ巣攻めで敵将和田兵部を討ち取るという初陣を飾って*1以降、大阪の陣までの家康の主要な合戦にことごとく参加*2、江戸に移ってからはたらいに乗って登城したり*3、魚屋の一心太助の相方として天下のご意見番として活躍した*4ということになっている。
*1:フィクションです
*2:これは事実
*3:フィクションです
*4:フィクションです
// 今回は2010年の名古屋まつり郷土英傑行列の写真を見て楽しんで行ってくださいヾ(๑╹◡╹)ノ"ちなみに、今年の名古屋まつりは10月17日・18日に行われる予定でした。www.nagoya-festival.jp 【行列の先頭】終点の所に来てしまったようで、看板がしまわれてしまいました。 【織田信長】信長隊は三越提供です。私は、終点だと何も撮れないと思ったのか、100m道路のあたりまで移動したみたいです。【森蘭丸】信長隊は基本的に乗馬のようですね。【濃姫】濃姫は三越の女性従業員の方から選ばれます。 【豊臣秀吉】秀吉隊は丸栄提供です(現在はジェイアール名古屋タカシマヤ提供)。【ねね】ねねは丸…
2024年4月5日金曜日 千鳥ヶ淵と北の丸の桜が気になる。 外濠から靖国神社、千鳥ヶ淵、北の丸の散策ルートの構想はすでに自分の頭にあった。 今日は花金なので午後半休して九段下に下車。 九段下から外濠を散策。 天気は予想通り花曇りでなんとかもってほしいと心に念じつつテクテク。 それでは写真をご覧ください。 外濠を散策すると桜とJRが出迎えてくれます 何度見ても見飽きないこの風情 外濠の桜は満開 外国人観光客も宴会で盛り上がっています 法政大学の文字が桜に映える 5年ぶりに法政大学の正門に入る ボアソナードから外濠を展望 昼時だったので学生食堂で学生さんと一緒にランチ 一般の方でも学生食堂利用でき…
*「どうする家康」で大久保忠世を演じた小手伸也。なんとなく、大久保一族の風貌を彷彿とさせます(NHK) 【あらすじ:中巻】 一向一揆を抑え三河を平定した徳川家康は、武田信玄と不可侵の約を結び、今川の領土である遠江国へ侵攻する。信玄は駿河国を襲うが、その後遠江国へも侵略の手を伸ばし、戦いの火蓋が切られようとしていた。しかし織田は徳川に対して援軍を送らず、家康は三方ケ原の戦いで信玄に完膚なきまでに敗北してしまう。大久保一族も犠牲がでたが、大久保忠世は敗北後に武田軍に夜襲をかけて、徳川軍の意地を見せた。 ところがその信玄が死去する。後を継いだ武田勝頼は、猛将だが軍略と治世の能力に欠け、長篠の戦で信長…
新三河物語(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 宮城谷昌光 ]価格: 770 円楽天で詳細を見る 【あらすじ:上巻】 今川義元は上洛の途につくと、人質の松平元康を先鋒として、織田家の猛将佐久間大学が守る丸根砦を攻撃させた。常に厳しい戦場を任されるが、家臣たちは活躍すれば元康が三河に戻ると信じて、戦いの中で命を削っていく。その中の1人、大久保一族を率いる大久保忠俊は、元康の祖父で英傑の松平清康から松平家に仕える。当時62歳、幾多の戦場を踏みながらも大きな負傷もせず、いくさの達人と呼ばれている。 猛将佐久間大学の疲れを待つ老練さを持った元康は、若いながらも祖父清康を彷彿とさせる采配振り。その傍らで敵を…
現地には、沼津城址碑しか建っていないが、沼津城は三枚橋城の跡地を利用したもので、三枚橋城が前身と言える。ただ、2つの城の存在期間はかなり離れており、直接の前身と言うのは難しいかもしれない。ちなみに、三枚橋城を沼津古城と呼ぶ場合もあるようだ。 三枚橋城が築城された年代には、元亀元年(1570)8月の武田信玄在世中に築かれたという説と、天正5年(1577)に信玄の子勝頼が築いたという説の、2つの説がある。甲陽軍鑑などにあるのは後者の説で、これが一般に知られていたが、他の史料から元亀元年の城郭普請に関する記述が見つかり、今では前者が有力になっているという。 築城時の時代背景としては、前者の説では、永…
トードタイの朝市 同上、牛肉屋 同上 トードタイのGHに咲いていた花 同上 同上 説教、昔話、自慢話■高田純次の自戒「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話』と『自慢話』だよ」。これは高田純次が2015年7月に放送された毎日放送『情熱大陸』で述べた言葉だ。チェンライに遊びに来た息子が「お父さん、」とこの言葉を紹介してくれた。聞いた時は、なんだとー、と不快に思った。歳を取ってこの3つをやめたら何を話せばいいんだ。これから勉強して国連職員になり、世界平和のために働きたいとかの夢を語れとでもいうのか、大体、説教しちゃいけないなどと、お前が俺に説教しているのではないか。 考えてみたら現役の頃、…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2024年月28日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「【新説・戦国史】鉄砲が伝来したのは1543年・種子島ではなかった!? 「以(1)後(5)予(4)算(3)がかかる鉄砲伝来」の語呂合わせがよく知られる鉄砲伝来。従来は種子島に伝来したものとされていたが、それもまた近年の歴史研究によって新常識が明らかになっている。 従来説:南蛮貿易によって種子島からもたらされた 新説:中国、東南アジアなど複数のルートからも伝来した ■『鉄炮記』に綴られた種子島伝来の由来 鉄砲は、火薬を爆発させ…
平成21年11月1日発行 裏表紙「隣国・尾張では信長の父、織田信秀の力がもはや無視できないものになっていた。美濃征伐にでた清康であったが、叛逆ありという凶報が入り、戦わずして退却することを決める。しかし陣中にいるところを、乱心した家臣の息子に斬られ、命を落すことに。主君亡き後、残された嗣子を巡り様々な思惑が錯綜する中、織田、今川も三河攻略にのりだす。大久保、本多ら忠臣たちの活躍を描く第二巻。」 織田弾正忠家が急成長し、清康に遠征の必要が生じた。清康を輔佐した阿部定吉の才知は抜きん出ていた。が分家の信定が守山にいないことで計画に狂いが生じ、戦う前に退却した。その直後、乱心した弥七郎に清康が殺害さ…
なでしこくらぶは不思議な話です。 山兎が源平盛衰記扇の的。 おりびあが三方原軍記抜読み。 小琴が大久保彦左衛門たけのこ騒動。 貞寿師は清水次郎長伝心中奈良屋。 あおい師は義士外伝八百屋の注進。 一凛師は鬼婆伝説。 お仲入り。 琴鶴師は葛の葉狐。 一邑師は良弁杉の由来。
2008年11月20日発行 宗矩は真田幸村に、午前試合の勝者への拝領太刀が忍者に切先3寸が両断されたことを告げた。幸村は、かつて半蔵から剣相鑑定の依頼を受け、村正の作と断定したが、実は詐ったことを打ち明けた。宗矩から見せられた太刀は、正真正銘、村正と断定した。江戸城に忍び込んだ赤猿佐助が百助を正気に返すと、百助を追いかけてきた庭番が踏み込んできたため身を隠した。宗矩の前で、幸村は、九振の無銘太刀は備中青江守次の長子恒次の作と鑑定した。青江刀には平氏の隠し財宝を埋めた場所を示す迷語が焼刃に認められた。刃を中にして開いて読めば、「車・中・候」の三文字が浮び出ており、その謎解きを幸村は試みた。母影は…
昨日24日より30円も値上がって480円になっちまったビッグマックを頬ばり、ビール(発泡酒ですが)で流しこみながら、昔の東映映画を眺めるんだった。 30代の頃からマクドナルドに行けば、ビッグマック2つを買う。 いまだにこれが揺るがない。 ご飯の類いは、ときに茶碗1つ分も食べられないホドに食が細っているけど、ビッグマックのみ、2ケ平らげられる。元気なのかそうでないのかよく判らんが、いいのだ、気にしない。 気にすべきは、値上げだな……。毎日食べるワケもなく、せ~ぜ~2週に1回程度ながら、2022年10月に390円から410円になり、さらに450円になり、こたび480円。 こんなトントン拍子、好かん…
昨年の大河ドラマ「どうする家康」でもやってたが、三河一向一揆のときに家康が一揆側と「前々のごとく」という約束したにもかかわらず「前々」は野原だったのだからと、一向宗寺院を破却したという話が『三河物語』に書いてある。 其後土呂、春崎、佐崎、野寺の寺内を破せ給ひて、一向宗に宗旨をかへよと、起請を書せられ給へば、前々のことくに成て可被下と、御起請の有よしを申ければ、前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよと有仰て打破給へば、坊主達は此方彼方へ迯ちりて行。 この件に関して「戦国・小和田チャンネル 【どうする家康】第9回「守るべきもの」」で小和田哲男氏は www.youtube.com (家康の)背信行…
千曲川の分流である尼ヶ淵にあった河岸段丘の断崖上に建っていた城で、台上から見れば平城、川の側から見れば平山城に見えるという、いわゆる崖城である。天正11年(1583)に真田昌幸によって築かれたが、その前身には土豪小泉氏の館か砦があり、小泉郭がその跡地という。 真田氏は、信濃の大族海野氏の分かれなどとされるが、詳細な家系は判っていない。はっきりしているのは、昌幸の父幸隆が、海野一族と共に一度没落した後、武田信玄に仕え、旧領である真田一帯を回復したことである。上田城を築城した昌幸は、この幸隆の三男だが、長兄信綱と次兄昌輝が天正3年(1575)の長篠の合戦で討死したため、家督を継いだのだった。 昌幸…
2008年8月30日発行 大久保家の本家は、大久保五郎衛門忠俊<常源>で、その弟が大久保左衛門次郎忠次、三弟が大久保平右衛門忠員(ただかず)である。主人公は、忠員の長男七郎右衛門忠世と次男治右衛門忠佐である。弟平助忠教は、大久保彦左衛門の名で三河物語を著したことで有名。 さて、本書は、桶狭間の戦いで敗れた今川義元が死んだのか、それとも重傷だが未だ生きているのか不明な状況の中で、義元の臣下だった家康は、大髙城をどうすべきかと考えるところから始まる。浅井道忠から家康は“水野下野守の勧告”として“明日には信長の兵が押し寄せてくるから今夜のうちに支度して早々に引き退くがよい”といわれ、家康は家臣たちに…
この双騎を見ることができた2023年を忘れません。 とんでもない作品でした。 はじめに 本編について ー窓の場ー ─森の場─ ─糸の場─ ─衣の場─ ─河の場─ ─妖の場─ ─繭の場─ ─月の場─ おわりに はじめに ええと。 なんだ。 この7年、ゲーム&実物刀剣&ミュの村正派(千子派)を追いかけてきた身としては、それはもう、それはもう、なんかもう色々と大変なことになってるんですが。その話始めると一瞬で大騒ぎカーニバルが始まってしまうので、一旦その人格は戸棚にしまっておいて(笑) まずはネタバレのない全体の話。既にたくさん言われていることではありますが、主演&演出のお二人による「美術館のような…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 2018-09-13 ⚔42)─1─徳川秀忠のキリスト教禁令とキリシタン処刑。徳川秀忠の死。1626年~No.170・ @ ・ ・ ・ 刀剣・日本刀の専門サイト 刀剣ワールド 日本史/合戦・武将・戦国史を知る 日本史/合戦歴史年表 江戸時代「踏み絵の導入」 江戸時代に入ると、幕府は鎖国政策を採ってキリスト教を弾圧するようになります。その中で江戸幕府は、キリスト教信者をあぶり出すために、「踏み絵」(ふみえ)と呼ばれる制度を作ったのです。キリスト教信者にとって大切な聖画像などを踏ませ、…